伊藤 耕太郎
日本代表選手紹介

伊藤 耕太郎
Kotaro ITO
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生年月日
2001年11月15日
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出身
神奈川県
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所属
リコーブラックラムズ東京
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ポジション
SO(スタンドオフ)
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身長/体重
177cm/86kg
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主な経歴
國學院栃木高校→明治大学
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日本代表キャップ
0
※2025年6月1日時点
ランとスペース感覚に長けた攻撃的なゲームコントローラー
両親に連れられて行った公園で、たまたまラグビーをやっていたため、3歳で神奈川・藤沢ラグビースクールに入った。
小学校時代は1年間だけサッカーもやってみたが、すぐにラグビーに絞ったという。中学時代、最高成績は県内で3位だったが、個人としては神奈川県スクール選抜に選出され、全国ジュニア大会にも出場した。
中学2年の2月、高校の関東新人大会が神奈川・保土ケ谷公園ラグビー場で開催されたため見に行くと、國學院栃木の優勝を目にし、日本代表のチームメイトとなったSH(スクラムハーフ)北村瞬太郎(静岡ブルーレヴズ)とともに、親元を離れて國學院栃木に進学した。
國學院栃木では1年時からFB(フルバック)として試合に出場し、2年時からはSOとして、チームの攻撃をコントロールした。3年時、全国高校大会は2回戦で報徳学園に勝利し、3回戦で東福岡高校に12-17で負けたものの、大きな存在感を見せて、高校の先輩になぞらえて「田村優2世」とも呼ばれた。
その田村と同じ明治大学に進学し、1年時はFBとしてプレーしたが、シーズン途中から再びSOとしてプレー。2年時からは正SOとして10番を背負い、チームの大学選手権準優勝に寄与した。3年では対抗戦7試合に先発したが、大学選手権の準々決勝はケガのため出場できなかった。4年時は10番を背負い続け、大学選手権準優勝にも貢献した。
アーリーエントリーでブラックラムズに加入し、2023-24シーズン最終節のトヨタヴェルブリッツ戦に出場、リーグワンデビューを飾った。夏はニュージーランド留学も経験。キャップの獲得はならなかったが、11月に日本代表に招集され、欧州遠征に参加した。
2024-25シーズンのリーグワンでは、最初はFB(フルバック)としての出場が多かったものの、終盤では10番をつけてプレーし、先発10試合を含む17試合に出場し存在感を見せた。
シーズン終了後は「JAPAN XV」として5月のニュージーランド学生代表や、ホンコン・チャイナ代表と対戦。当初は日本代表のスコッドには入らなかったが、「JAPAN XV」として再び招集を受け、日本代表に昇格した。
ゲームメイクだけでなく、ランでの突破も光る攻撃的な司令塔。ブラックラムズのチームメイトのSH、TJ・ペレナラに「オールブラックスのSOダミアン・マッケンジーのプレーを彷彿させる」と評された存在だ。今年こそ、テストマッチに出場しキャップを獲得したい。
◆神奈川県スクール選抜でともにプレーしたSO武藤ゆらぎ(横浜キヤノンイーグルス)とも仲が良く、日本代表でチームメイトとなったCTB(センター)廣瀬雄也は明治大学の同期。弟・龍之介もSOで、同じく國學院栃木から明治大学に進学してプレーしており、妹のちひろは関東学院六浦高校でプレーしている。
TEXT by 斉藤健仁
© JRFU