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Hayate ERA
父の一也さんが大阪桐蔭高校ラグビー部のPR(プロップ)だったこともあり、兄・楓(立命館大学卒)と、2歳の時に東大阪ラグビースクールへ通い始めた。小学生時代はヒーローズカップで全国5位に、枚岡中学では常に大阪府の上位に入る成績を収めた。
当時はFW(フォワード)ではなく、SO(スタンドオフ)を任されていたという。ただ、元日本代表HO堀江翔太の姿に憧れて、大阪桐蔭高校からFW第1列へ転向した。2年生から左PRとしてレギュラーとなり、花園の初優勝にも寄与し、2年生ながら高校日本代表にも選出された。3年時はチーム事情からPRからHOに転向した。
帝京大学に進み、そのままHOとしてプレー。1年時から先発として試合に出て、2年時は2017年度以来の大学選手権優勝に貢献し、3年でも連覇を支えた原動力となった。4年時は主将に就任し、セットプレーの強さとリーダーシップで、大学選手権3連覇を達成した。
アーリーエントリーでスピアーズに入ると、クロスボーダーラグビーのチーフス戦で初出場。その後、トヨタヴェルブリッツ戦でリーグワンデビューすると、6試合に出場した。ただシーズン終了後、手術のために日本代表入りはかなわなかった。
2024-25シーズンは、チームメイトの南アフリカ代表マルコム・マークスとともに主軸のHOとしてプレー、先発9試合を含む19試合に出場し、準優勝に貢献した。2025年、満を持して日本代表に初召集。6月に「JAPAN XV」としてマオリ・オールブラックス戦に先発した後、7月のウェールズ代表との第2テストマッチで途中出場し初キャップを獲得した。
◆実家は東大阪市花園ラグビー場から自転車で5分ほどの距離にあるという。リラックス方法は洋楽を聴くことで、普段はジェレミー・ザッカーの音楽を聴いて気持ちを落ち着かせている。また、試合前はファボラスの「My Time」を聞いて気持ちを高めている。
斉藤健仁© JRFU
セットとリーダーシップに定評のある若きHO
父の一也さんが大阪桐蔭高校ラグビー部のPR(プロップ)だったこともあり、兄・楓(立命館大学卒)と、2歳の時に東大阪ラグビースクールへ通い始めた。小学生時代はヒーローズカップで全国5位に、枚岡中学では常に大阪府の上位に入る成績を収めた。
当時はFW(フォワード)ではなく、SO(スタンドオフ)を任されていたという。ただ、元日本代表HO堀江翔太の姿に憧れて、大阪桐蔭高校からFW第1列へ転向した。2年生から左PRとしてレギュラーとなり、花園の初優勝にも寄与し、2年生ながら高校日本代表にも選出された。3年時はチーム事情からPRからHOに転向した。
帝京大学に進み、そのままHOとしてプレー。1年時から先発として試合に出て、2年時は2017年度以来の大学選手権優勝に貢献し、3年でも連覇を支えた原動力となった。4年時は主将に就任し、セットプレーの強さとリーダーシップで、大学選手権3連覇を達成した。
アーリーエントリーでスピアーズに入ると、クロスボーダーラグビーのチーフス戦で初出場。その後、トヨタヴェルブリッツ戦でリーグワンデビューすると、6試合に出場した。ただシーズン終了後、手術のために日本代表入りはかなわなかった。
2024-25シーズンは、チームメイトの南アフリカ代表マルコム・マークスとともに主軸のHOとしてプレー、先発9試合を含む19試合に出場し、準優勝に貢献した。2025年、満を持して日本代表に初召集。6月に「JAPAN XV」としてマオリ・オールブラックス戦に先発した後、7月のウェールズ代表との第2テストマッチで途中出場し初キャップを獲得した。
◆実家は東大阪市花園ラグビー場から自転車で5分ほどの距離にあるという。リラックス方法は洋楽を聴くことで、普段はジェレミー・ザッカーの音楽を聴いて気持ちを落ち着かせている。また、試合前はファボラスの「My Time」を聞いて気持ちを高めている。
斉藤健仁© JRFU
ラグビー日本代表選手名鑑
- 祝原 涼介
- 小林 賢太
- 竹内 柊平
- 為房 慶次朗
- 江良 颯
- 佐藤 健次
- 平生 翔大
- ワーナー・ディアンズ
- ジャック・コーネルセン
- ベン・ガンター
- 下川 甲嗣
- 福田 健太
- 藤原 忍
- 李 承信
- サム・グリーン
- ディラン・ライリー
- チャーリー・ローレンス
- 長田 智希
- 中野 将伍
- 石田 吉平
- リーチ マイケル
- 矢崎 由高