番組ジャンル
野球
ラグビー
サッカーフットサル
サッカー・フットサル
サイクルロードレース
モータースポーツ
バレーボール
バスケットボール
フィギュアスケート
スキー
バドミントン
ピックアップ
番組表
各種サービス
Keijiro TAMEFUSA
小学校2年の時に大阪・みなとラグビースクールで競技を始める。大阪・大正東中学時代には柔道部にも入っており、全国中学大会の大阪府予選90キロ級で優勝したこともある。
大阪の強豪校、常翔学園に入学しラグビーに専念。1年から主軸として試合に出場すると、3年時はキャプテンとしてベスト4に貢献。スクラムだけでなく、機動力のあるPRろして、高校日本代表にも選ばれた。
高校卒業後はFW(フォワード)の強さに定評のある明治大学に進学し、1・2年時は対抗戦4試合にリザーブから出場した。その後、日本代表になるため、走れる身体へと肉体改造を試み、3年の関東大学対抗戦からレギュラーに定着した。4年では紫紺のスクラムを支え、大学選手権準優勝にも貢献した。
2024年、スピアーズに入団。アーリーエントリーで、3月にリーグワンデビューを飾ると、さっそく5試合に出場して3トライを挙げるなど、スクラムだけでなく、決定力の高さを見せた。
5月には菅平のトレーニングスコッドに参加し、そのまま日本代表に初招集されると、6月のイングランド代表戦で途中出場し、初キャップを獲得。その勢いのまま、テストマッチで10試合プレーして、飛躍のシーズンとなった。
2024-25シーズンのリーグワンでは、準優勝したチームで9試合の先発を含む18試合に出場。7月のウェールズ代表との第1テストマッチでは先発した。スクラム、突破力にさらに磨きをかけている。
◆父も大阪工業大学高校(現・常翔学園)、専修大学などでプレーしていた。4兄妹の次男で、兄・虎太郎は総合格闘家。弟のFB(フルバック)幸之介も明治大学ラグビー部に入部して活躍している。高校時代は身体を強くするために、自宅のガレージを改装したジムで週に2~3回鍛えていたという。
斉藤健仁© JRFU
国際舞台で大きく成長、代表に定着した右PR
小学校2年の時に大阪・みなとラグビースクールで競技を始める。大阪・大正東中学時代には柔道部にも入っており、全国中学大会の大阪府予選90キロ級で優勝したこともある。
大阪の強豪校、常翔学園に入学しラグビーに専念。1年から主軸として試合に出場すると、3年時はキャプテンとしてベスト4に貢献。スクラムだけでなく、機動力のあるPRろして、高校日本代表にも選ばれた。
高校卒業後はFW(フォワード)の強さに定評のある明治大学に進学し、1・2年時は対抗戦4試合にリザーブから出場した。その後、日本代表になるため、走れる身体へと肉体改造を試み、3年の関東大学対抗戦からレギュラーに定着した。4年では紫紺のスクラムを支え、大学選手権準優勝にも貢献した。
2024年、スピアーズに入団。アーリーエントリーで、3月にリーグワンデビューを飾ると、さっそく5試合に出場して3トライを挙げるなど、スクラムだけでなく、決定力の高さを見せた。
5月には菅平のトレーニングスコッドに参加し、そのまま日本代表に初招集されると、6月のイングランド代表戦で途中出場し、初キャップを獲得。その勢いのまま、テストマッチで10試合プレーして、飛躍のシーズンとなった。
2024-25シーズンのリーグワンでは、準優勝したチームで9試合の先発を含む18試合に出場。7月のウェールズ代表との第1テストマッチでは先発した。スクラム、突破力にさらに磨きをかけている。
◆父も大阪工業大学高校(現・常翔学園)、専修大学などでプレーしていた。4兄妹の次男で、兄・虎太郎は総合格闘家。弟のFB(フルバック)幸之介も明治大学ラグビー部に入部して活躍している。高校時代は身体を強くするために、自宅のガレージを改装したジムで週に2~3回鍛えていたという。
斉藤健仁© JRFU
ラグビー日本代表選手名鑑
- 祝原 涼介
- 小林 賢太
- 竹内 柊平
- 為房 慶次朗
- 江良 颯
- 佐藤 健次
- 平生 翔大
- ワーナー・ディアンズ
- ジャック・コーネルセン
- ベン・ガンター
- 下川 甲嗣
- 福田 健太
- 藤原 忍
- 李 承信
- サム・グリーン
- ディラン・ライリー
- チャーリー・ローレンス
- 長田 智希
- 中野 将伍
- 石田 吉平
- リーチ マイケル
- 矢崎 由高