ツール・ド・フランスを知るための100の入り口
ツール・ド・フランスを知るための100の入り口:永遠の2番手
「フランス人は順風満帆のエリートより、2位でもがいている人に親しみを感じるんだよ」。これは、大衆紙ルモンド元記者の弁。万年2位と言われたププことレイモン・ブリドールの衰えぬ人気ぶりを、こう評した。
1960~70年代に活躍したプリドールは、14回出場したツール・ド・フランスで7回の区間優勝はあるものの、総合優勝には手が届かなかった。1962~76年にかけて、71年をのぞき毎回出場を果たし、最終日の表彰台には計8回上った(2位が3回、3位が5回)。
ある意味時代が悪かった。歴史に名をとどめるツール優勝5回のジャック・アンクティル、エディ・メルクスの黄金期と重なった。しかしライバルたちに負けぬほど、ププは国民的アイドルだ。当時も、そして今も。
[写真] プリドール(2011年)
現代でいうと、ランス・アームストロングの時代とダブったヤン・ウルリッヒの姿をププに重ねるむきもあるかもしれない。ランスの戦歴の前に、彼の活躍は薄まった。2003年ツールは最後のタイムトライアルで逆転の可能性もあった。が、雨の路面でスリップして、万事休す。ああツイていない。
2人ともやがてドーピングで弾劾されるものの、選手として成熟期に、唐突に首切りになったヤンに比べ、ランスは、現役時代は無傷で過ごし、再復活まで果たして栄華を謳歌した。
さて、元祖『永遠の二番手』のププはといえば、1973年にレジオン・ドヌール勲章の『騎士』の階級を与えられ、2003年には『将校』に昇格した。現在は、ツールの広報役も務めている。
片やウルリッヒ。引退後、2009年には、久しぶりにツールに戻る計画をしていた。開幕前日、引退選手を招いたモナコのクリテリウムに招待されていたのだ。
懐かしのツールに戻る!、そんな喜びを口にしていたものの、直前に風邪をひき、モナコ行きはあえなく断念となる。引退してもなお、やっぱりヤンは、不運の人だった。
※本企画は2013年6月に実施されたものです。現在と情報が異なる場合がございますが、予めご了承ください。