ツール・ド・フランスを知るための100の入り口
ツール・ド・フランスを知るための100の入り口:ヴィラージュ風景
1988年、ツール・ド・フランスのスタート地点で、選手や、招待客・選手の家族・スポンサー・関係者などパスの持参者のみが入場できる社交の場、ヴィラージュの設置が開始になった。料理やドリンクが振舞われ、パフォーマンスも行われる。この場所こそ、まさにフランス語でいうところの“コンヴィヴィアル”、つまり、親睦的で楽しい宴の雰囲気に満ちている。
ブルゴーニュ地方シャブリのヴィラージュでは、シャブリのワインが振舞われ、ブルターニュ地方では、海の町ならではの牡蠣が大放出。町の人とおぼしきボランティアたちが手際よく殻をあけていく。それを待ちきれないかのように、群がる招待客たちが手を差し出していた。
訪れる地元ごとのボランティアとは別に、ヴィラージュの移動に連日帯同し、軽食などを用意するケータリング会社のスタッフもいる。ときに、そうした料理人たちを、特別にヴィラージュに招待する日が設けられることもある。歓待する側から、歓待される側へ。常日頃の貢献者の労をねぎらう、そんな優しさがツールにはある。
[写真上] シャブリのヴィラージュではシャブリがふるまわれた。ふるまってくれた女性はオレンジジュース。(2007年)
[写真下] バイクの運転手が1日だけヴィラージュに招待客待遇で迎えられ、子供をつれていた。(2007年)
その他、選手やスタッフなどには嬉しい散髪コーナーが設置されるなど、実用的な側面もある。また地元出身のゆかりの人々が集うのも特色で、1953~55年にツール3連覇を遂げたルイゾン・ボベの故郷サン・メアン・ル・グランがスタート地となった2006年第8ステージには、故ルイゾンの親族の姿があった。兄でサイクリストからジャーナリストに転身したジャン、妹のマドレーヌ、ボベの長女マリーズと夫ダヴィドだ。
ボベが獲得したマイヨ・ジョーヌが飾られるブースで、一家は久々の団欒を楽しんでいた。彼らの実家はこの町でパン屋を営んでいたが、その後店をたたみ、ジャンはレンヌ、マドレーヌはパリ、マリーズはグルノーブル、そしてその日ヴィラージュに来ることができなかったルイゾンの息子フィリップはスイス在住と、みな離れ離れなのだ。
マドレーヌは、兄がツールで優勝したときのことを、つい昨日のことのように語っていた。「レース中はラジオに釘づけで、中継に聞き入ったものよ。優勝のお祝いに、みんなでパリに駆けつけて、市長の祝福を受けたわ。当時、閉幕地はシャンゼリゼじゃなくて、パリの自転車競技場(パルク・デ・プランス)だったのよ」。
50年代のツールを目の当たりにした生き証人から、じかに当時の様子を生き生きと聞くことができる、ヴィラージュは、そんな醍醐味を味わえる場所でもある。
※本企画は2013年6月に実施されたものです。現在と情報が異なる場合がございますが、予めご了承ください。
Photo:Naco