ツール・ド・フランスを知るための100の入り口
ツール・ド・フランスを知るための100の入り口:ジャーナリストは元選手
新聞報道に加えツール・ド・フランスのテレビ中継が拡充する中、1957年、当時のディレクター、ジャック・ゴデ(スポーツ紙『ロト』の共同創始者ヴィクトール・ゴデの息子)は、ジャーナリストに便宜を図るため、近代的なプレスルームの提供を開始した。
今ではツールを伝えるメディア数は560、ジャーナリストの数は2000人にも上り、その中には、元選手もチラホラいる。
たとえば1900年に発行開始となったスポーツ紙『ロト』(当初の名は『ロト・ヴェロ』)の編集長で、1903年にツールを創造したアンリ・デグランジュ自身も、秀でた自転車選手だった。
1891年にボルドー~パリを観戦して競技に目覚め、1893年、ヴェロドローム・ビュファロで初のアワーレコード35.325㎞を打ち立てたのも彼だった。
公証人となり弁護士をめざすも、仕事場に自転車で乗りつけたせい、あるいはそのときの格好のせいで、首になった、という言い伝えもある。
ツールを49回取材し、メディア界の重鎮で、『レキップ』紙の首席ライターだったピエール・シャニーも自転車レースに出場していた。戦時中は反ユダヤ思想から反ナチス思想へ移行し、投獄・脱獄経験もあったというが、当時の身の上は余り語られなかった。
ジャーナリスト転身後の活躍は目覚ましく、自転車競技に関する彼の著書はバイブルとなる。惜しまれつつ、ツール取材50回目を目前にこの世を去った。
その他、ツール3勝のルイゾン・ボベの弟で、ツールに出場したこともあるジャン・ボベも、競技界からメディアの世界に転じたひとり。サドルの上では兄ほどの戦歴はないが、1955年にはパリ~ニースで総合優勝している。
ライターとしての評価は高く、ルモンドやレキップ紙に記事を書いてきた。2006年ツールでは、故郷、サン・メアン・ル・グランのステージに顔を見せ、主催者からメダルを渡された。
※本企画は2013年6月に実施されたものです。現在と情報が異なる場合がございますが、予めご了承ください。
Photo:Naco