ツール・ド・フランスを知るための100の入り口

ツール・ド・フランスを知るための100の入り口:報道の情感



ツール・ド・フランスという冒険譚は、ジャーナリストや哲学者たちにとって、格好の題材とみえ、これまでさまざまな人々により情感たっぷりに語られてきた。フランスでは、名だたる高級紙も、ツールの報道にはしばしばセンチメンタリズムが混在する。欠場した選手について、「君がいないと寂しいよ」、などという乙女チックな語りかけもときにはばからない。

ある日の日刊紙ル・フィガロは、トップを快走する選手より、最後尾の選手のもがきに着目。「生へのパレード」と表し、こんなふうに語っていた。

「まずマイヨ・ジョーヌが走り去る。彼の視線はヘルメットに隠れ、うかがい知ることはできない。しかし、歯を食いしばっていないことは明らかだ。やがて脱落した選手たちが、グルペットになってやってきた。疲労感をにじませ、よろめくように」

「その後遅れて、かなり遅れて、最後のひとりがやってきた。まるで、『モヒカン族の最後』のように。背後には、収容車ヴォワチュール・バレ。道をふさぐように迫りくる。追われる者の頭によぎるものは一体なにか?暗殺者との全面対決か?あるいは自転車を降りることができる幸福感か?それとも、断末魔の生への執着なのか?やがて峠にさしかかる。審判は、もうすぐ下る」

日本において、こんな感傷的な報道が馴染むスポーツがあるだろうか。しいて言えば、高校野球だろうか。いつもは無機質な新聞記事も、「さあ、胸を張って」、などと情感が入る書きっぷりになっている。

テレビ報道のあり方でいえば、箱根駅伝がやや近い。それまでの大会を振り返り、あのとき、あの場面を想起させる。その場限りでない、歴史の蓄積を重んじる点に、ある種の類似性を感じる。

※本企画は2013年6月に実施されたものです。現在と情報が異なる場合がございますが、予めご了承ください。

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