ツール・ド・フランスを知るための100の入り口

ツール・ド・フランスを知るための100の入り口:自転車の発明とツール



現在の自転車の原型であるヴェロシペードが発明されたのは1860年頃のこと。

60年代中盤にフランスで大量生産されるようになると、新たな冒険へと駆り立てられるように、比較的早い時期に自転車レースは登場する。

1868年5月31日、パリのサンクルーで1200メートルの自転車レースが開催されると、翌年には、隔週発行の自転車専門紙『ル・ヴェロシペード・イリュストレ』の音頭取りで、初めて2都市を結ぶロードレース・パリ~ルーアンが123キロの行程で争われた。

1891年には1200㎞の耐久レース、パリ~ブレスト~パリがスタート。本レースを手掛けたのは、日刊紙『ル・プティ・ジョルナル』の編集長ピエール・ジファールだ。

彼はボルドー~パリレースを主催したスポーツ紙『ル・ヴェロ』の編集員も兼任し、レースの評判を足掛かりに、1900年には、本紙は発行部数を8万部に伸ばしていた。

一方、1900年に創刊され、『ル・ヴェロ』の後塵を拝したスポーツ紙『ロト・ヴェロ』(1903年『ロト』に改名)は苦戦を強いられていた。

ボルドー~パリを模倣したり、800キロのマルセイユ~パリを主催したり。奮闘したが、発行部数はそれでもやっと2万部。ライバル紙には、はるかに及ばなかった。

そこで1903年、起死回生の一発として『ロト』紙により打ち上げられたのが、フランスの都市を転戦するスタイルのツール・ド・フランスだった。

それまでの自転車レースといえば、2都市あるいは公園内の2地点を結ぶロードレースと、レースを端から端まですべて見渡したいという観客の要求にこたえて生み出されたトラック競技の2種類。

競馬場レースの流れを汲む後者は、ロードレース以上に流行し、1893年、ヴェロドロームと呼ばれる初の専用競技場がパリ西部に完成していた。

そんな中、3都市以上を転戦し一周する、というのは全く斬新なスタイルだった。

自転車がフランスで産声をあげたこと、自転車レースと出版社がタイアップし、雑誌・新聞の売り上げ倍増というのが、ビジネスモデルとなったこと。そんな時代の潮流が、ツール誕生の裏側に見え隠れする。

※本企画は2013年6月に実施されたものです。現在と情報が異なる場合がございますが、予めご了承ください。


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