ツール・ド・フランスを知るための100の入り口

ツール・ド・フランスを知るための100の入り口:悲報


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ピレネー山脈に、ポルテ・ダスペと呼ばれる峠がある。道の両側には木々が生い茂り、森のような風情。滴るような緑がやさしいのどかなこの道で、かつて惨劇があったとは、にわかに信じがたい。

それは今から18年前の1995年7月18日のこと。この峠の下りでバイクをコントロールし切れず、次々選手がクラッシュ。谷底に転落した者もいた。そんな中、ひとり、力なく、「く」の字で地面に横たわり、微動だにしない選手がいた。

彼の名は、ファビオ・カザルテッリ。当時ヘルメット着用は義務でなく、むきだしの頭部付近から、流血していた。

関係者が駆けつけ脈をとる。しかしすでにその時点で、なすすべはなかった。享年24歳、カザルテッリは帰らぬ人となる。

ツール・ド・フランス期間中に参戦選手が亡くなるのは、これで4人目だった。最初は、1910年の休息日、アドルフ・エリエールが海水浴中に溺死した。1935年にはフランシスコ・セペダがガリビエ峠の下りでクラッシュ。搬送途中で息を引き取った。1967年にはトム・シンプソンが、モンヴァントゥーの上りで突然死。暑さと薬物などの複合作用などと推測された。

カザルテッリの死は、ツールを震撼させた。テレビのニュース番組で大きく取り上げられ、徐々に事故の全貌が明らかになる。発生当時の検証があり、選手のコメント・所属チームの様子が少しずつ入り、周辺情報として、妻と生後2ヶ月の息子がいたことなどもわかった。

[写真1] レース中の自己で命を落としたカザルテッリ(1993年)
[写真2] 事故現場に建てられたカザルテッリの記念碑。隣に立つのはカザルテッリが事故当時所属していたモトローラチームで監督を務めたハニー・クイパー。(1997年)

当時、インターネットは発展途上。テレビと新聞が頼りで、数日間かけて様々なことが明らかになるなど、報道のペースは緩やかだった。

今ではツイッターなどネット媒体により、瞬時に怒涛の情報量が世界中に発信される。ただ、その分、新たな別のニュースへと人々の関心が移る速度も速い。

通信の高速化はありがたいことだ。しかし、もしもあの事故が現代に起こっていたら、じわじわと死を悼んだあの数日間までもが短縮されてしまいそうな気がする。

※本企画は2013年6月に実施されたものです。現在と情報が異なる場合がございますが、予めご了承ください。


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