ツール・ド・フランスを知るための100の入り口

ツール・ド・フランスを知るための100の入り口:暴力沙汰



2010年ツールで、レース中のいざこざが発展して、選手のカルロス・バレドとルイ・コスタが、ゴール直後に派手な乱闘を繰り広げたことがあった。フロントホイールを外してバレドが襲いかかると、それをコスタが奪い取り、両者はもみ合いに。ジャーナリストたちが2人を無理やり引き離す始末。

もっとも、興奮状態になるのは選手だけではない。観客もしかり。しかも、”武器と化したホイール”ではなく、”本物の武器”が鎮圧用に使われたことすらある。

それは1904年、ツール第2回大会第2ステージでの出来事。サンテティエンヌ通過後、レピュブリク峠を上る最中、集まった群衆の前で地元のアルフレッド。フォール選手が集団からエスケープを敢行。彼の逃げを支援する見物客たちが、ほかの選手の行く手をさえぎった挙句、暴力までふるう事件が起こった。

沈静化を図る主催者側が取った手段は、今でも想像もつかないやり方だった。なんと、威嚇発泡!

さすがに今では、開始の号砲以外でピストルを使うことはなくなったが、こうした沿道側からの横やりは、”なんでもありの初期の大会”だけにとどまらない。1975年には、見物人でぎっしり埋め尽くされた山道で、ベルギー人のエディ・メルクスがフランス人の観客に脇腹を殴られる事件が起こる。

パンチを食らった腹を押さえつつ、なんとかその日は走り切ったが、後日、タチの悪い落車にも見舞われ、首位の座から陥落。総合2位でツールを終えた。1996年から前年1974年にかけ、5度の優勝を果たしていたが、後一歩のところで6度目の栄光をつかむことはできず。

ただこの年、エディにとって悪いことばかりではなかった。大会スタート前に、フランスの勲章制度で外国人にも与えられるレジオン・ドヌール勲章シュヴァリエ(騎士・5等)を授与された。(2011年には、それより上のレジオン・ドヌール勲章コマンドゥール=司令官・3等を得る)

時は経ち、彼の息子アクセルも、自転車選手になった。モトローラを皮切りに一流チームに所属したが、成績では、父に、はるかに及ばず。ツールでは、区間2位と3位が各1回と2回。総合順位では、1998年の10位が最高位。2004年、アテネオリンピック・ロード種目の銅メダルが、キャリア最大の栄光だ。

そんな彼も、一度沿道のファンとの接触事件に遭遇する。といっても、被害者は、彼自身ではなかった。2005年大会の最中、カザフスタン人のアンドレイ・カシェチキンが、いきなり鼻を殴られた。故意ではなかった可能性もあるが、長い間鼻血が止まらず、悲壮感が漂った。

そんなみじめな姿が心配で、チームは異なるものの声をかけ、励ましたのがアクセルだった。

父の事件が起こった当時、彼はまもなく3歳になろうとしていた。記憶にはないんい違いないが、身内の災難として、しばしばあのエピソードを聞かされてきたのだろう。カシェチキンのことが、他人事とは思えなかったそうだ。

写真:2000年ジロ・デ・イタリア第8ステージで優勝したアクセル・メルクス(左)を祝福する父エディ(右)。通算525勝のエディは史上最強のロードレーサーとの呼び声も

※本企画は2013年6月に実施されたものです。現在と情報が異なる場合がございますが、予めご了承ください。


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