ツール・ド・フランスを知るための100の入り口
ツール・ド・フランスを知るための100の入り口:発展の理由1-克明な歴史の記録
2005~2007年にかけ、「アイントホーフェンのチームタイムトライアル」なるレースが存在した。カテゴリーとしてはトップの、UCIプロツールのレースだったのだが、異例の短命だった。
比較的最近のレースなのに、リアルタイムでも、後追いでも、ほとんど情報はなく、様子がさっぱりわからなかったため、話題にもならぬまま、突如打ち切りが決定した。
せっかくレースが行われても、共有できる情報や話題性がなければ、観客を呼び込めず、立ち消えとなっていく。
その点、ツール・ド・フランスはスゴイ。「1904年、20才のアンリ・コルネは、パンクに見舞われ、35㎞もフラットタイヤのまま走り続けました」、「1909年、アンリ・アラヴォワンヌは、落車でバイクが壊れたせいで、最終日ラスト10㎞を、バイクを担いで走ってレースを終えました」などという詳細な情報が残っている。
1903年に開始以来、戦争で中断はあるものの、今年で100回を数えるツール。そのたびに、克明な記録が留められ、そして大切に保管されてきた。情報をとらえ、民衆に伝える役割を担う新聞社がレースを主催したからこそ。
もしも物品販売会社の主催であれば、コース上で宣伝活動を行うことに専念し、タイム以外にまともな記録が残されなかった可能性は十分ある。
ちなみに上述の「アイントホーフェンのチームタイムトライアル」のスポンサーは自治体だった。記録ばかりか、事前のレース情報も不十分で、地域住民にすら興味をもたれず、大赤字だったという。
大量のデータが綿密に保存・累積されている事実は、その後にレースを指揮する者にプレッシャーを与える。ツールは華麗な歴史を刻む中で、数々の伝説を残してきた。途中で絶やすわけにはいかない。
壮大なヒストリーはレースを至宝化させ、携わる人たちに責任感と誇りを植え付ける。これまで脈々と続いてきた理由であり、今後もそうたやすく途絶えることはないと思われるゆえんでもある。
※本企画は2013年6月に実施されたものです。現在と情報が異なる場合がございますが、予めご了承ください。