ツール・ド・フランスを知るための100の入り口
ツール・ド・フランスを知るための100の入り口:絵画と文学
[写真]マルコ・パンターニ
スポーツ紙『ロト』の創始者で、ツール初代ディレクターのアンリ・デグランジュは、1893年に竣工した自転車競技場ヴェロドローム・ビュファロで初のアワーレコードを樹立するのだが(アワーレコードは1時間でどれだけの距離を走れるか競う種目)、競技場の経営者は、実業家・小説家・劇作家などの肩書をもつトリスタン・ベルナーだった。
ベルナールは画家のトゥールーズ・ロートレックと親交があり、彼を自転車競技の世界に引き込んだ。ロートレックの絵に、自転車選手のポートレートをはじめ、競技場の絵などがあるのはこのためだ。
ツールの実行委員は、1934年、そんなベルナールをレースに招待する。コース上を走る車から取材した内容は、1935年、『コンパニョン・デュ・ツール・ド・フランス』という1冊の本として結実する。
彼は1931年スポーツライター協会を共同で設立し、やがて優れたスポーツ小説に贈られる賞には『トリスタン・ベルナール賞』が与えられるようになる。
元選手でツール3連覇のルイゾン・ボベの弟ジャンも、『ラピーズ』という本で本賞を獲得している。さらに、上述の『ロト』の後を継いだ『レキップ』紙の名物筆頭ライター、フィリップ・ブリュネルも著書『マルコ・パンターニの生と死』で、受賞した。
※本企画は2013年6月に実施されたものです。現在と情報が異なる場合がございますが、予めご了承ください。