WWE王座
WWE王座
(2019年1月9日時点の情報を元に作成)

<ダニエル・ブライアン>
WWE王座の2018年は、ある時期までAJスタイルズとともに歩んできた。AJは2017年11月にジンダー・マハルから王座を奪取。以降、マハル、ケビン・オーエンズ、サミ・ゼインら相手に防衛を果たしてきたが、最大の山場は2018年4月のレッスルマニア34における中邑真輔戦だった。
両者は新日本在籍時からのライバル同士であり、これがWWEでは初の一騎打ち。ロイヤルランブル・マッチで見事に日本人初優勝を飾った中邑が「WWE王者AJに挑戦する」と宣言して、最高のシチュエーションで実現したものだった。2016年の新日本1・4東京ドーム以来の対戦は、AJがスタイルズ・クラッシュで3カウントを奪い、王座防衛。そのまま握手で終わるかと思われたが、中邑がまさかのローブローを見舞って両者の闘いは新たなステージに突入した。その後もWWE王座を懸けて向かい合うも、両者カウントアウト、両者KOで決着つかず。そして完全決着戦の意味合いが強いラストマン・スタンディング・マッチでAJがKO勝ちを収め、ようやく一連の闘いにピリオドが打たれた。
2018年夏以降はルセフ、サモア・ジョーら相手に防衛を重ね、長期政権の気配が漂い始めたAJの前に現れたのが、駆け出し時代から切磋琢磨し合ってきたダニエル・ブライアン。中邑とはまた別の意味で、AJにとっては宿命的な相手でもあった。
そんな両者によるタイトルマッチはPPVではなく10月30日のSMACKDOWNで実現し、AJが防衛。だが、その2週後にやや唐突な形で再戦が組まれ、ブライアンがローブローからのニーブラスでフォール勝ち。4年半ぶり4度目の同王座奪取を果たすと同時に、試合後もAJを攻撃し続けて、Yes!ムーブメントとの決別を一方的に宣言した。
AJのWWE王座保持期間は371日間。365日超えは2011年11月から2013年1月まで434日保持したCMパンク以来だった。
2018年 主なタイトル防衛戦
- 11月13日(火)
- スマックダウン
- 〇 ダニエル・ブラウン
- vs.
- ● AJスタイルズ
WWE王座の歴史 <歴代王者>
WWEでもっとも格式あるベルトで、WWE創生期から団体トップの王座として君臨してきた。初代王者は1963年1月にブラジル・リオデジャネイロで開催されたとされるトーナメントを制したバディ・ロジャース。 当初の名称はWWWF世界ヘビー級王座で、団体名の変更、王座の統一や新設などに合わせて、WWWFヘビー級、WWFヘビー級、WWF世界ヘビー級、WWF、統一WWF、統一WWE、WWE統一、WWE、WWE世界ヘビー級、WWE世界を経て、2016年夏に再びWWE王座となった。
この王座の権威を決定的に高めたのが1963年5月にロジャースを下して第2代王者となったブルーノ・サンマルチノ。1971年1月にイワン・コロフに敗れるまで2803日もの間、王座を保持し続けた。
その後、ペドロ・モラレス、ボブ・バックランドらといった名王者が生まれ、1984年1月にハルク・ホーガンが王座を奪取。ここからサンマルチノに次ぐ1474日間もの長期政権を築き、全米侵攻の象徴として、また1985年に第1回が開催されたレッスルマニアの看板として「WWF世界ヘビー級王者(当時)=ホーガン」のイメージができ上がる。
多くの王座移動シーンの中で歴史的場面となったのが、1997年11月にショーン・マイケルズがブレット・ハートから、1998年3月にストーンコールド・スティーブ・オースチンがマイケルズから、それぞれベルトを奪った一戦。1998年11月にはザ・ロックが初めてこのベルトを腰に巻いた。
最多戴冠記録はジョン・シーナの13回。2016年6月に行われたドラフトで、当時の王者ディーン・アンブローズがSMACKDOWN所属となったため、以降、同ブランドの管轄となっている。 なお、1979年11月30日に徳島でアントニオ猪木がバックランドから王座を奪取(6日後におこなわれた再戦がノーコンテストに終わり、王座を返上)したが、WWEはこの王座移動を公式には認めていない。この曖昧な歴史を払拭する意味でも、中邑真輔に日本人初のWWE王者の期待がかかる。
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