ツール・ド・フランスを知るための100の入り口
ツール・ド・フランスを知るための100の入り口:日本人選手
過去、ツール・ド・フランスに出場を果たした日本人は4人。
記念すべき日本人初のツール参戦は1926年。当時フランス在住の日本人、川室氏が、荒れくれどもの闘いに挑んだ。ツールのデータブックにも「Kisso Kawamuro、日本人としてのツール初参加」と、掲載されている。1926年〜1927年に連続出場したが、いずれも第1ステージで棄権。完走ならず。
その後、欧州でオートバイペーサー付き自転車競技ドミフォンの選手として活動を続けたという。なお、フランスでは「Kisso」と記されているが、本当の名前の読みは「きそう」である。漢字で書くと、「競」。いやはや、競技の申し子のような名前。
戦後には、1996年、当時イタリアチーム、ポルティ所属の今中大介が出場。第14ステージでタイムアウトとなり、完走ならず。
そしてついに2009年、日本人選手のツール初完走は、2人の選手によって遂げられる。
別府史之選手と新城幸也選手が出場し、ともに最後まで走り切った。さらに別府選手は最終日に敢闘賞。新城選手は、その後2010年〜2012年にも出場し、すべて完走。2010年はジロも完走し、2012年ツールの第4ステージでは敢闘賞で表彰台に上った。
※本企画は2013年6月に実施されたものです。現在と情報が異なる場合がございますが、予めご了承ください。
写真:Yuzuru SUNADA / 今中大介