ツール・ド・フランスを知るための100の入り口
ツール・ド・フランスを知るための100の入り口:ドーピング(2000年以前)
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自転車競技者によるドーピング剤の使用は根が深い。1860年に現在の自転車の原型が発明されてから、20年も経たないうちに、6日間レースで事例が報告されている。
加えてドーピングによる、アスリートの初の死亡例とオリンピックでの死亡例第一号は、双方とも自転車選手という始末。
それぞれ、1896年トリメチルを服用したイギリス人自転車選手と、1960年五輪ローマ大会100kmチームタイムトライアル出場のデンマーク人選手だ。
ツールでも、1920年代には、ストリキニーネ、コカイン、クロロフォルム、アスピリンの使用があったとされ、野放しだった。
自転車連盟の動きは遅く、禁止薬物規制が制定されるのは1965年のこと。しかしその後も後を絶たず、1967年にはトム・シンプソンがアンフェタミン使用に一因があるとみられる状況で死亡。E・メルクスですら陽性判定を受けたが、言い逃れはたやすかった。
1998年、ツール期間中、マッサージャーの車の取り調べからチームぐるみのドーピングが発覚し、俗に言うフェスティナ事件で、大会は揺れた。
しかし、それでも今なおツールは生き延びている。草創期から、ドーピング以外にも、イカサマやインチキは後を絶たず、ツールがスキャンダルへの耐性を備えていることがよくわかる。
一点の曇りもない美しい競技、そんな幻影を抱いていると裏切られる。
[写真1] モンヴァントゥで死亡したトム・シンプソンのために同地に建てられた記念碑(1994年)
[写真2] 一大騒動となったフェスティナ事件(1998年)
※本企画は2013年6月に実施されたものです。現在と情報が異なる場合がございますが、予めご了承ください。
写真全て:©Yuzuru SUNADA