ツール・ド・フランスを知るための100の入り口
ツール・ド・フランスを知るための100の入り口:世代交代
[写真1]
[写真2]
[写真3]
ツール・ド・フランスでは、レース中にチーム内世代交代のドラマも数々生まれた。
■チーム ラヴィクレールの場合(世代交代:1986年)
・1985年:1位 ベルナール・イノー、2位 グレッグ・レモン
・1986年:1位 グレッグ・レモン、2位 ベルナール・イノー
1986年ツールでは、レモンは次の世代を担うエースのハズだった。しかし、イノーは頭ではそれを理解しつつも、闘魂が頭をもたげ、しばし、その体制と矛盾するアタックに出る。最後は丸く収まり、レモンはアメリカ人初の優勝者となるが、まさにチームメイトとライバルは紙一重だった。
■レイノルズ(1990年からバネスト)の場合(世代交代:1991年)
・1988年:1位 ペドロ・デルガド、47位 ミゲル・インドゥライン
・1989年:3位 ペドロ・デルガド、17位 ミゲル・インドゥライン
・1990年:4位 ペドロ・デルガド、10位 ミゲル・インドゥライン
・1991年:1位 ミゲル・インドゥライン、9位 ペドロ・デルガド
1990年、絶対的エースとして送り込まれたデルガドは、調子が上がらず。しかしインドゥラインは下剋上を許されず。チーム方針に従いエースを待つなどして、自己のタイムを犠牲にした。翌年からエースの座を得て5連覇の快挙を達成するが、90年に主従関係が緩められていれば、6連覇も夢ではなかったかもしれない。
[写真1] ついにエースとなったインドゥラインは1991年から史上初の5連覇を果たした。左:インドゥライン 中央:デルガド(1991年ツール・ド・フランス第2ステージ)
■テレコムの場合 (世代交代:1997年)
・1996年:1位 ビヤルヌ・リース、2位 ヤン・ウルリッヒ
・1997年:1位 ヤン・ウルリッヒ、7位 ビヤルヌ・リース
1996年、初参戦のグランツールでいきなり2位に入ったウルリッヒ。1997年大会では、前年優勝者リースに対し、彼はサブエースで乗り込んだ。しかし日が進むにつれ、両者の関係が逆転したことが白日のもとにさらされる。途中から補佐役はボスとなり、優勝を飾る。
※本企画は2013年6月に実施されたものです。現在と情報が異なる場合がございますが、予めご了承ください。
[写真2] インドゥラインを破りデンマーク人初のチャンピオンとなったリース(1996年ツール・ド・フランス第16ステージ)
[写真3] 翌年リースからエースの座を引き継ぎドイツ人として初めてツールを制することになるウルリッヒ(1996年ツール・ド・フランス第8ステージ)