ツール・ド・フランスを知るための100の入り口
ツール・ド・フランスを知るための100の入り口:我が町のヒーロー
ツール・ド・フランスを迎える町々は、それぞれ工夫に満ちた飾りつけで、来る者を楽しませてくれる。
たとえば、2009年、ピレネーの町サンゴダンスの庁舎前には、手作りの巨大帆布が登場した。丹念に塗りこめられていて、なかなか壮観だ。
描かれているのは雪を頂いた2つの山。空色に塗られた背景には綿菓子のような雲が浮かび、洗濯紐に干された水玉模様の山岳賞ジャージが風に揺れている。
さらに、『アンドレ・ダリガード 1959 ツール・ド・フランス万歳』の文字。この町の出身者なのだろうか?なるべく年配で温厚そうな地元の人を選んで聞いてみる(昔話は、若者ではダメだ)。
「いいや、そうじゃないんだ。1959年、サンゴダンスがツールのゴール地点に選ばれたんだ。そしてこの場所で優勝したのがダリガードだった。その日のことを憶えているかって?もちろんさ。僕は当時19歳の坊主でね。みんなでゴールに駆けつけた。平坦コースが得意なダリガードが山で勝ったって、そりゃ大騒ぎだったよ」
一足飛びに50年前の記憶を呼びだし、その男性は頬を緩めた。つい昨日のことのように語る口ぶりや、レトロな山の情景を描いた帆布から、当時の熱気がまだこの町に滞留していることを知る。
もっとも、ダリガードがこの町で優勝した1959年には、まだ山岳賞の水玉ジャージは採用されていなかったので、この絵はあくまでもイメージだ。トラックで鳴らしたスプリンターが山で驚異の走りをみせ、町中が興奮の渦に包まれた様子が見て取れる。
聞けばダリガードは大西洋側のダックスの出身。この町には縁もゆかりもなかった。それでも彼は、サンゴダンスの人々にとって、半世紀を過ぎた今も『我が町のヒーロー』だった。
3週間、3000㎞程を走破して、合計タイムで競うツール・ド・フランス。選手の名前や活躍ぶりが特定の土地と密接に結びついて記憶されることがたびたびある。競技場の周回レースではありえない、フランス各地をめぐるレースならではだ。
※本企画は2013年6月に実施されたものです。現在と情報が異なる場合がございますが、予めご了承ください。
Photo by Naco