来歴


フランスの山岳スペシャリスト。2016ツール・ド・フランス総合2位、2017年同3位、2019年に山岳王。実は2015年に大学院学位を取得するまで、プロライダーと学生との二刀流でレースに出場していた。2025年6月に生まれ故郷で開催されるレースで引退する。


◆国民の期待を背負ったインテリライダー


2012年にプロデビューしたバルデは端正な風貌と女性モデルのように細身の身体が特徴の人気選手だ。1985年を最後にフランス選手はツール・ド・フランスの総合優勝から遠ざかっていて、バルデに大きな期待がかかった。


「僕がツール・ド・フランスで勝つ。それ以外はあり得ない」。2019年、バルデは断言した。ツール・ド・フランスに挑み続けて表彰台にも2度上った。


ただし初めて本気で優勝を狙った2018年の夏は不完全燃焼のまま6位で終了。4年ぶりに区間勝利も逃した。東欧や南米勢などの躍進に、マイヨ・ジョーヌをパリで着用することはなかった。


ロマン・バルデ

◆変化を求めた2020年


フランス国民はイノー以来のツール・ド・フランス総合優勝者になることを期待し、当時所属していたチームからは、ひたすらツール・ド・フランスの3週間のために生きることを求められた。


9年連続で出場していたツール・ド・フランスを欠場し、人生初めてのジロ・デ・イタリアに出場することに決めたのが2020年。自身の成長のために変化を求めた。下部育成組織の2年を含む通算11年間過ごしてきたフランスチームにも2020年末で別れを告げた。


オランダのDSMに移籍した2021年は、なんと1日もフランス国内でレースを走らなかった。毎年課されてきたグランツール総合エースの立場からも降りた。「将来はツール・ド・フランス開催委員長」との呼び声高く、常にフランスメディアからコメントを求められてきたインテリは、オフには6週間にわたって完全に外界を遮断した。


◆夢に見たマイヨ・ジョーヌをラストチャンスで獲得


そして2024年。春先のリエージュ〜バストーニュ〜リエージュでは圧倒的な強さを誇るポガチャルに続いて2位となり、満足感から涙が頰を伝った。ジロ・デ・イタリアでも区間上位であることに満足な表情でフィニッシュした。


すでに引退することを決めていた。2025年6月に生まれ故郷で開催されるクリテリウム・デュ・ドーフィネでやめる。だからツール・ド・フランスを走るのは2024年が最後だった。


そして大会初日、若いチームメートのファンデンブルークとの2人逃げを決め、バルデがフィニッシュラインで先を譲ってもらい7年ぶり4度目のステージ優勝を飾った。当然初日だからトップフィニッシュの選手が総合成績でも1位となり、初めてマイヨ・ジョーヌを獲得したのである。


「たった1日でもいいからマイヨ・ジョーヌを着たい」というバルデの夢がついにかなった瞬間だった。


ロマン・バルデ

©A.S.O./Pauline BALLET   ©A.S.O./Billy Ceusters

戦績

レース・結果
2013年 ツール・ド・ラン総合優勝&ポイント賞
2014年 ドローム・クラシック優勝
ツアー・オブ・オマーン ヤングライダー賞
ツール・ド・ラン総合2位
ボルタ・ア・カタルーニャ総合4位
2015年 クリテリウム・デュ・ドーフィネ総合6位
リエージュ〜バストーニュ〜リエージュ6位
ツール・ド・フランススーパー敢闘賞
2016年 ツアー・オブ・オマーン総合2位
クリテリウム・デュ・ドーフィネ総合2位
イル・ロンバルディア4位
ツール・ド・フランス総合2位
2017年 クリテリウム・デュ・ドーフィネ総合6位
リエージュ〜バストーニュ〜リエージュ6位
ツール・ド・フランス総合3位
2018年 フォーン=アルデシュ・クラシック優勝
ストラーデ・ビアンケ2位
クリテリウム・デュ・ドーフィネ総合3位
リエージュ〜バストーニュ〜リエージュ3位
世界選手権ロードレース2位
ツール・ド・フランス総合6位
2019年 モンヴァントゥー・チャレンジ2位
パリ〜ニース総合5位
ツール・ド・フランス山岳賞
2020年 ツール・デ・ザルプ=マリティーム・エ・デュ・ヴァール総合2位
クリテリウム・デュ・ドーフィネ総合6位
2021年 ジロ・デ・シチリア総合5位
ブエルタ・ア・ブルゴス総合6位&山岳賞
ジロ・デ・イタリア:2021年総合7位
2022年 ツアー・オブ・ジ・アルプス総合優勝
ツール・ド・フランス総合6位
2023年 ツール・デ・ザルプ=マリティーム・エ・デュ・ヴァール総合8位
パリ〜ニース総合7位
ラ・フレーシュ・ワロンヌ9位
ツール・ド・ロマンディ総合7位
ツール・ド・スイス総合5位
2024年 ツール・ド・フランス区間1勝