来歴
2011年から3シーズン、エウスカルテル・エウスカディでレースに出場した。
チームに強烈な愛着を持っていたが、資金難でチームが解散することに。
しかし2018年に、ミケル・ランダ本人がチームを設立して、新生エウスカテル・エウスカディが動き出した。
◆待ちに待った総合エースの座
2020年、真のエースの座を求めて続けてきた放浪の旅が、終わりを迎えた。
チーム スカイ(現イネオス・グレナディアーズ)に所属した2017年のジロ・デ・イタリアでは、ゲラント・トーマスとのダブルリーダーで挑んだが、両者同時落車で望みは断たれた。
さらにツール・ド・フランスでは総合覇者クリストファー・フルームに指示されアタックを打つも、減速を命じられ、その影響で1秒差で総合表彰台に登れなかったことも。
だが、移籍したバーレーン・マクラーレン(現バーレーン・ヴィクトリアス)ではいよいよ唯一絶対の総合エースとして走ることとなった。
◆不運体質なロードレーサー
幾度となく不運に見舞われ、落車でグランツール総合優勝を諦めた経験は数知れない。
2021年のジロも、5日目の落車負傷で即時リタイアを余儀なくされた。しかし不屈の精神の持ち主でもある。
停車中のオートバイが引き起こした集団落車で総合優勝の希望を失ったが、そこから立ち上がってステージ優勝と山岳賞を持ち帰った。
そんな自分の不運さを嘆いてか、誕生日には、「健康体でいること」を願ったことも。身体さえ万全ならば、自分のベストを尽くせるから。100%の走りさえできれば、グランツールの総合表彰台に上がれると信じている。
◆負のスパイラルからの脱却
2022年に2回目のジロ総合表彰台を獲得し、イル・ロンバルディアではキャリア初となるモニュメントでの表彰台に登った2023年もラ・フレーシュ・ワロンヌで3位となるなどレース巧者ぶりを発揮。
ブエルタ・ア・エスパーニャ個人総合5位を置き土産に、バーレーン・ヴィクトリアスを去った。
◆レムコ直々の指名で山岳アシストに
2024年シーズンにスーダル・クイックステップへ移籍。絶対的エース、レムコ・エヴェネプールが山岳アシストとして直々に指名したのだ。
求められたのはクライマーとしての能力だけではない。長いキャリアで培ったグランツールの経験をレムコに、そしてチームに落とし込むことを期待されて。それに応え、ツールではレムコの個人総合3位をアシスト。
若きエースを大崩れさせることなく3週間戦わせることに貢献。自身のチャンスもチームからは与えられ、ボルタ・ア・カタルーニャでは個人総合2位、ブエルタでは個人総合8位と、一定の成果を挙げた。
©A.S.O./ Alex Broadway ©Unipublic/Cxcling/Toni Baixauli
戦績
年 | レース・結果 |
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2012年 | グラン・プレミオ・ミゲル・インドゥライン2位 |
2013年 | ブエルタ・ア・アストゥリアス総合2位&ポイント賞 |
2014年 | ツアー・オブ・ジ・アルプス区間優勝 |
2015年 | イツリア・バスクカントリー区間優勝 ブエルタ・ア・ブルゴス区間優勝 ツアー・オブ・ジ・アルプス総合2位 ジロ・デ・イタリア総合3位 |
2016年 | イツリア・バスクカントリー区間優勝 ツアー・オブ・ジ・アルプス総合優勝&山岳賞 |
2017年 | ブエルタ・ア・ブルゴス総合優勝&ポイント賞&山岳賞 ジロ・デ・イタリア山岳賞 ツール・ド・フランス総合4位 |
2018年 | ティレーノ〜アドリアティコ総合6位 イツリア・バスクカントリー総合2位 |
2019年 | セッティマーナ・インテルナツィオナーレ・ディ・コッピ・エ・バルタリ総合4位 ジロ・デ・イタリア総合4位 ツール・ド・フランス総合6位 |
2020年 | ブエルタ・ア・ブルゴス総合2位&ポイント賞 ブエルタ・ア・アンダルシア総合3位 ツール・ド・フランス総合4位 |
2021年 | ブエルタ・ア・ブルゴス総合優勝 ティレーノ〜アドリアティコ総合3位 |
2022年 | ティレーノ〜アドリアティコ総合3位 イル・ロンバルディア3位 ジロ・デ・イタリア総合3位、区間通算3勝 |
2023年 | ブエルタ・ア・アンダルシア総合2位 ティレーノ〜アドリアティコ総合7位 ボルタ・ア・カタルーニャ総合5位 イツリア・バスクカントリー総合2位 ラ・フレーシュ・ワロンヌ3位 ブエルタ・ア・エスパーニャ総合5位、区間1勝 |
2024年 | ボルタ・ア・カタルーニャ総合2位 ツール・ド・フランス総合5位 ブエルタ・ア・エスパーニャ総合8位 |