ソチ五輪代表に選ばれて

——その後は、2006年に全日本ジュニアで優勝。結果を残して、次のシーズンにシニアデビュー。全日本で4位になって、バンクーバー五輪は選考に落ちたんやんね。そのときはどういう気持ちだったの?

町田:もちろん自分がバンクーバー五輪に行けるとは1ミリも思っていませんでしたし、あのときは狙ってもいませんでした。バンクーバー五輪の第1次補欠に選ばれたんですけど、私としてはそれでもう大満足で、とても光栄なことだと思っていました。

——「いや〜行きたかった」っていうあれではないんだ

町田:一切なかったですね。もう、行くべき方はあの3人だったと思います。

——なんかすっきりしてるね

町田:そうですね。

——で、その後、四大陸で表彰台に登ったんやったっけ?

町田:そうなんです。自分の能力では歯が立たないような高い壁を次々に目の当たりにして、絶望に陥ってたんですよね。「このままスケートをやっていけるんだろうか」っていうくらい、シニアに参戦し始めて葛藤というか悩みを抱え続けていただけに、四大陸初出場で銀メダルを獲れたっていうことはほんとに嬉しかったですね。

——でもその後どんどん国際試合でトップに行ったりしてたやん?

町田:そうですね。2012年あたりのグランプリシリーズからは「やるか、やられるか」の文字通り真剣勝負だと思って。

——怖いな(笑)

町田:そうなんです。一戦一戦、自分の運命を決めていくような大会だと思って命がけで取り組んでいたんですよ。で、まあ2013年のソチ五輪代表選考のシーズンに、実は私近畿ブロックから出場していまして。ローカル試合も全部こなして、グランプリシリーズも出ていて、そういうプロセスの中でどんどん自分の勢力を増していきながら全日本に臨みましたね。で、そこで準優勝以上の成績を収めれば、かなり高い確率でソチ五輪には行けると考えていました。

——高い壁と思ってたのが、ソチ五輪までどんどん上に行ったやん?そのときはなんか自分の中でつかんだ感じがあったの?

町田:今度は自分の番だということを考えていましたから、どう上の人たちに追いついて、かつ勝負の世界ですからその方々に勝って自分がソチ五輪の代表のチケットを手に入れられるか、ということを考えながら競技をしていましたね。

——もう、ちょっとずつ。ここでこうして、こうして、こうして…みたいな感じやったんや

町田:はい。だけれども、自分はそういう方々からしたら経験値が浅いので、一戦一戦無駄にできないんですよね。一戦一戦確実に成績を残して「町田ここにあり」っていうのをスケート界にも世間にも印象付けながら一歩一歩歩んでいかないと、やっぱり先輩の方々には勝てないと考えていたので、そういう意味で一戦一戦が真剣勝負だったというのはあります。

——そうなんや。全日本で2位に入って、ソチ五輪の代表に選ばれたやん?そのときはどうやったの?

町田:自分の目標や目的が1つ果たせたので、それはもう嬉しかったですね。ただ、いざ選出されてみると、その当時の日本のトップ6っていうのは誰がソチ五輪に行ってもおかしくないほどの猛者が揃っていましたから、そういう方々を差し置いて自分が行くわけですから、それなりの結果が求められるという覚悟はありました。

——やっぱりちょっと緊張するわけ?そこで

町田:「町田じゃなくて他の人が行けばよかったじゃないか」って思われたくは絶対になかったので、そういう意味で結果が求められると思っていました。

——その初出場の五輪、改めて振り返ってみてどう?

町田:ショートはやっぱりあの…もちろん自信を持って臨んだんですけど、最後トリプルルッツジャンプを予定していたんですが、なんか力んだのか、それがダブルになってしまって。たぶん潜在的にものすごい緊張だったので、うまく身体がコントロールできなかったと思うんですけど(笑)。

——ポーンとなってしまったんや(笑)

町田:そうなんです。「あっ」という感じで、もうそのときは時すでに遅しみたいな感じだったんですけど。まあでもショート終わって11位で。11位という数字だけ見たら「ああ結構下だな」と思うんですけれども、そのときのショートプログラムの成績は11位から3位までの間がほんとわずかだったんですよね。だからこれはもうフリー次第だと思っていたので、冷静に気持ちを切り替えて頑張ろうと思っていました。

——じゃあほんとにちゃんと切り替えて、4位。そのときはどうやったの?

町田:その当時フリースケーティングは「火の鳥」を踊っていたんですけれども、2シーズン間通して踊っていたプログラムだったので、なんとかこのソチ五輪の舞台で自分の納得いく「火の鳥」を演じたいという思いだけでした。もうそのときにはあんまり成績っていうのは考えていなくて。まあ成績のことを考えるとまた余計な緊張とか邪念が入りますから、とにかくこのロシアという地でストラヴィンスキーの「火の鳥」を完成させるという思いでやっていましたね。うん。

——やっぱり五輪は他とは違う感じやった?

町田:ま、いざ競技会になってみると、他の競技会と変わらないと思います。グランプリシリーズや世界選手権といったトップクラスに位置付けられるような競技会とは変わらないと思うんですけど。問題は日常で、そういった普通のフィギュアスケートの競技会では感じなくてもいいようなストレスに常にさらされる、というのが五輪の難しさだなと感じました。

——ソチの選手村とかどうやったの?

町田:選手村が1つネックで。

——ネックなの?(笑)

町田:ネックというか、あれがあることで選手は生活ができるわけですけれども。一方で、普通の競技会だったら、ホテルに泊まって普通に競技会の時間帯に練習場に行ったり本番会場に行ったり、自分のテンポでっていうかペースで競技会に臨んでいけるんですけれども、まずやっぱりプライベートが極端に少ないですね。

——ああ、他の選手と…

町田:他の選手もいますし、やっぱり部屋は個室ではなくて誰かと同室になることもありますから。チーム日本の計らいで、男子個人は個人戦までは個室を与えてもらったんですけれども、それ以降は例えば高橋さんと同じ部屋だったりっていう。別にいいんですよ?いいんですけど、やっぱり。もちろんいいんですよ?(笑)

——うんうん、わかってるよ(笑)

町田:いいんですけど、やっぱり気を使うし、でも競技にも集中しなきゃいけないしっていう感じで、プライベート空間が少ないので。

——たぶん向こうも気を使うだろうし、お互いがね。嫌とかそういうんじゃなくて(笑)

町田:じゃないんですけど、やっぱり。ただでさえ1人で集中したいときもあるので。お互いそう思ってるんだけど、でも仲良くやんなきゃいけないっていう、そのプライベート空間の少なさっていうのは大変でした。

——試合前がやっぱりちょっと違ったんだね。氷に立ってしまえばね

町田:そうですね。

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【町田樹 前編】12月11日(火)午後10:00 -
【町田樹 後編】12月18日(火)午後10:00 -

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