候補者になって3年目で殿堂入りを果たしたホフマンは、チッパーやトーミーと違って、(誤解を恐れずに言えば)少しくだけた人だった。パドレス時代に話す機会が持てたのは、ホフマンのことを尊敬していた大塚晶則投手(現中日派遣コーチ)がいたからだが、野手から投手に転向した初年、私が昔、住んでいたアイオワ州の田舎町のマイナー球団でプレーしていたこともあり、当時のことを話すのが楽しみだった。

「なぜ、野手から投手に転向したかって?」

彼はこちらの質問を聞き直すと、笑ってこう答えた。

「そんなの決まってるさ。俺がと・て・も・ひどい打者だったからさ」。

V・E・R・Yと強調した彼のマイナー時代の通算打率は2割2分5厘である。

「当時も今も、野手から投手に転向する選手なんて結構いるからなぁ……それにプロ野球に入るような選手は、それぞれのリトルリーグで一番いい選手で、元遊撃手(マイナー時代のホフマンもそうだった)は多いはずだよ。日本だってそうじゃないの?」

日本では運動能力の高い選手が投手をやり続けるパターンが多いんです、と言うと、彼は「ふうむ、そりゃ面白い話だ」と言って考え込んだ。

「だから日本からアキ(大塚のこと)とかノモ(野茂)とか、いい投手がいっぱい出てくるのかも知れないね」。

当時はすでにイチローや松井秀喜らがメジャーでプレーしていたが、すでにベテランだったホフマンにとっては日本人選手=投手だったのかも知れない。

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