甲高い独特のロータリーエンジンのエキゾーストノートを誇り高くフランス・ルマンの空に轟かせながらマツダ787Bがトップで24時間レースのゴールラインを切った。1991年6月23日、メルセデス・ベンツとの闘いを制して国産車自動車メーカーが初めて頂点に立った。

実は、1991年からロータリーエンジンは参加できなかったかもしれなかった。レギュレーションの変更によってレシプロエンジンのみに参加が許されることとなっていたのだが、参加メーカー達の準備がスムースに行われずに、ロータリーエンジンの<締め出し>は翌年に繰り越された。だからマツダにとって91年は、最後のチャンスだった。

レースが進むにつれて徐々に順位を上げて行ったカーナンバー55 の787Bは、前を行くメルセデス・ベンツとの差を詰めて行った。マツダの追撃に流石のベンツも一台、また一台とリタイヤしていった。ルマンにチャレンジし続けてきたマツダ+ロータリーエンジンの初めて、そしてたった一回の勝利だった。

60年前にドイツで開発されたロータリーエンジンを量産、一般車両に広く用いたのがマツダ(元東洋工業)だった。日本におけるロータリーエンジンの開発陣頭指揮をとった山本健一さんが12月20日に逝去され、25日に報道発表された。氏は、技術者として現場から社長、会長、そして相談役を歴任した。

ルマン参戦への壮行会で当時会長職だった山本さんが最後に挨拶された内容をまだ覚えている。

「永年チャレンジし続けてきたルマン、耐久レースでロータリーエンジンが使えなくなる。どうしてそうなるのか本当にわからない。ここにお集まりのメディアの皆さんのお力でロータリーエンジンがこれからも使えるように是非お願いしたい。宜しくお願いします」

細かな言葉使いは当時と同じじゃないかもしれないけれど、内容は上記の通りだった。日本における、量産ロータリーエンジンの父として世に送り出し、レースへのチャレンジを続けてきた氏の情熱がヒシヒシと感じられた。

当初の規定施行からわずか1年だけレース界におけるロータリーエンジンの寿命は延びた。そしてルマンを制した。未だに他の国産自動車メーカーによるルマン24時間レース優勝は達成されていない。

山本健一さん、享年95歳
ご冥福をお祈りします。

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高橋 二朗
日本モータースポーツ記者会。 Autosport誌(英)日本特約ライターでもあり、国内外で精力的に取材活動をするモータースポーツジャーナリストの第一人者。1983年からルマン24時間レースを取材。1989年にはインディー500マイルレースで東洋人としては初めてピットリポートを現地から衛星生中継した。J SPORTSで放送のSUPER GTのピットレポーターおよび、GTトークバラエティ「GTV」のメインMCをつとめる。

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