いよいよダルビッシュ有(ドジャース)が本拠地ドジャー・スタジアムでのお披露目を迎える。

メジャーで3番目に古いこの新天地で、ダルビッシュがメジャーデビューした2012年以降にプレーしたことはない。だが、2009年の第2回WBCで既に“デビュー”を果たしている。

そのマウンドをダルビッシュが初めて踏みしめたのは、準決勝のアメリカ戦だった。

ただ、そこに用意されていたのは、それまでと同じまっさらなマウンドではなく、最終回を締め括るリリーフとしての役割だった。

大会期間中の配置転換に、ダルビッシュが当初は難色を示したエピソードは有名だ。それでも日本代表の新クローザーは、9対4のセーフティーリードを守り切るために9回から救援登板する。

先頭のデレク・ジーターを打ち取ったダルビッシュは、続くジミー・ロリンズに単打を打たれたが、後続のデビッド・ライトとアダム・ダンは連続三振に斬って取りゲームを終わらせた。

ところが、その翌日に迎えた決勝の韓国戦では、同じく9回に救援登板しながら1点のリードを守ることができなかった。

同点に追いつかれるタイムリーヒットを浴び、それから数分後、今度は2点リードとなった10回のマウンドに上がったダルビッシュは、鋭く曲がるスライダーで最後の打者から空振り三振を奪う。

そして地に吠え、仁王立ちして、駆け寄る捕手を迎え入れるシーンは、その後、日本で幾度となく繰り返し再生されることになる。

この日のダルビッシュは2回を投げて5つの三振を奪い、救援失敗した9回には自身最速となる「100」(マイル=161キロ)の数字をスタジアム内の電光掲示板に灯してみせた。

凄まじいポテンシャルを示した一方で、3四球と一人相撲が仇となったピッチングを、本人はどのように記憶しているだろうか。

日本代表が大会連覇を達成した第2回WBCのみならず、ドジャー・スタジアムは日本人にとっても馴染み深いボールパークだ。

今年3月に開催された第4回WBCでは日本代表が準決勝を戦い、野茂英雄や黒田博樹ら日本人選手もドジャー・ブルーのユニフォームを身につけてプレーした。

抜けるような青い空の下、心地良く響くオルガン演奏の音は、時代が変わっても相変わらず似つかわしい。

だが、ファンから愛され続けている名物スタジアムも、転機を迎えようとしている。

今春からドジャースが、1シーズン1200万ドルで球場名に企業の名前を加える道を模索していることが、7月に明らかになったのだ。

ネーミングライツの件と併せて、ダルビッシュは“レンタル移籍”の立場であるため、来季はどこのユニフォームに袖を通しているかは分からない。

その点を鑑みると、ダルビッシュが「ドジャー・スタジアム」を良い思い出とするための時間は、それほど残されていないのかもしれない。

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