ちょっと贅沢過ぎるくらいに面白かったリオデジャネイロ五輪柔道競技。日本にあっては「日本勢が大活躍」という見出しで語られ続けて、期間中は非常な盛り上がりであったと聞く。日本代表の活躍についてはその後もテレビその他で大いに紹介され、玉石取り交ぜて国内に既に相当量の情報があふれかえっているかと思われる。よって本稿では少々趣を変えて、毎年の世界選手権、そしてワールドツアーを欠かさず中継しているJ SPORTS的視点から五輪を振り返り、今後のツアーと国際柔道の行く末を考えてみたいと思う。題して、「リオ五輪からワールドツアーを考える」。地味なタイトルだが、しばしおつき合いを願いたい。

さて、前述の通りこの五輪は一貫してちょっと考えられないほど面白くエキサイティングであったのだが、一般ファンの心にはその最終戦、テディ・リネール原沢久喜戦の超消極試合(リネールの)の印象が深く刻まれているのではないか。「これは柔道ではない」「柔道ではなくJUDOだ」というような周回遅れの議論もまたもや沸き起こったと聞くが、総論を語る前にまずはコースを外れて、このリネールを巡る戦いで見えた最重量級の構図について語りたい。戦評や審判評、リネール評、原沢評については筆者が他メディア(柔道サイトeJudo内「五輪最終日評」)に詳しく書いているのでこちらも参考にしていただければと思う。

リネールの戦い方は、ルールに則ってゲームの勝利獲りにくる完全なスポーツのそれで、ルールを目いっぱいに使って勝ちを得るのがスポーツの大原則である以上、このスタイル自体を批判するのは的外れだ。現行のIJFルールは言外に「投げ合うこと」という美意識を課しているが、必ず投げを以て試合を決めるべしと明記しているわけではない。カウンターアタックが得意なチームが好きか、流動性高くフォーメーションプレイで相手を切り崩すチームが好きか、それとも個人の能力に頼ってその力を最大限に生かすチームが好きか、それは見る人の価値観の問題で、好きか嫌いかはその人の勝手、しかし「それはサッカーではない」という全否定の議論には発展しえないこととこれは同じである。何より勝利に至るルートの多様性は柔道の最大の魅力のひとつでもあるので、或るスタイルの全否定はジャンルとしての自己否定に等しい。どうしても「柔道かJUDO」か的な議論をしたい人には、その成り立ち上、五輪で行われているのは柔道から一部を取り出して便宜上スポーツ化している「柔道競技」と切り分けておくべきと言っておく。

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