近年、憤ること、特に瞬間湯沸かし器のように激高することは少なくなって来ました。
年齢を重ねて、心が広くなったから?単純に感覚が鈍感になったから?

でも、でもですよ、昨年末の日産さんがくれたクリスマスプレゼントには、頭が来ました。
それは、2016年世界耐久選手権LMP1クラス参戦とりやめの決定です。

FF車両によるルマンへの参戦は、画期的なプロジェクトではありました。しかし、あまりにも短時間でのプロジェクト進行、そしてあまりにも奇抜すぎるアイデアに失笑するモータースポーツ関係者少なくなかった。近年、日産のルマンに対する挑戦は、奇抜さだけが先行して結果を全く考えていないようにも見えた。ガレージ56枠で出場したデルタウイングやZeod RCは、注目を集めるには良いマテリアルだった。しかし、LMP1クラスに打って出るには、GT-R LM NISMOは、あまりにも非力。<日産がルマンにカムバックしてきた>という話題は振りまいたものの、走り出したらあまりの遅さに話題性は吹っ飛び、恥じの上塗りを重ねるばかり。レース中は、GTクラスのマシンと争うシーンが少しだけ見られた。ああ、悲しい。これが、かつて表彰台を獲得した日産の現在の姿なのか。LMP1のトップ争いを演じていたトヨタをはじめアウディ、ポルシェは、対外的に日産に対して儀礼的な好感を示していたが、心の中では笑っていたのではないか。それに同じ土俵で勝負するということは彼らに対する侮辱にも値することでもあった。

GT-R LM NISMOのネーミングにもとても違和感が感じられた。日産のワークスチームであるNISMOがこのプロジェクトに関与したのはエンジン開発とマシンの組み立てなどのみ。その他は、チーム代表に就いていたデザイナーのB・ボルビーが集めたスタッフによって運営され、NISMOは、口出しをすることも許されなかった。ボルビーのデザインしたレーシングマシンが大成したことは聞いた事がない。かれは、再び自分のキャリアに汚点を重ねて、そしてまたほとぼりが冷めたところで何処かのカテゴリーに何もなかったように現れるのでしょう。

デルタウイングからのプロジェクトがスタートした当時の副社長A・パーマーは退社して他社へ移籍。プロジェクトリーダーのD・コックスも社を離れた。飛ぶ鳥、後を汚しッ放し。残されたのは、プロジェクトに深く関与できないまま名前だけを使われたNISMOだけ。NISMOのスタッフは、2016年に向けてこのパッケージを少しでも闘えるようにするべく努力を重ねていた矢先に発表された参戦とりやめ。彼らの忸怩たる思いは限りない。子会社だからといって、こんな仕打ちはないでしょ。

しかし、NISMOには期待したい。再びその名をルマンの地で輝かしてくれることを。それは、簡単なことではないだろうけれど、今度こそは真に表彰台の頂点を目指すプロジェクトをスタートさせて欲しい。そうでなくては、1986年ルマンに初参戦し、2013年に逝去された初代NISMO社長、難波靖治氏もやすらかに永眠できない。

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高橋 二朗
日本モータースポーツ記者会。 Autosport誌(英)日本特約ライターでもあり、国内外で精力的に取材活動をするモータースポーツジャーナリストの第一人者。1983年からルマン24時間レースを取材。1989年にはインディー500マイルレースで東洋人としては初めてピットリポートを現地から衛星生中継した。J SPORTSで放送のSUPER GTのピットレポーターおよび、GTトークバラエティ「GTV」のメインMCをつとめる。

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