静かなる元怪物が死んだ。ちっとも静かでなかったイメージを地球に刻んだまま。ジョナ・ロムーの心臓は、11月18日、突然、鼓動をやめた。40歳だった。ラグビーを愛する人々は、勇壮で、痛快で、強烈なランの背番号11、身長196僉体重110圈学校時代に100mを10秒8で走った大男を忘れない。幸福なばかりでなかった現在から解き放ち、消しても消えぬ思い出とする。

カーペット。1995年、6月18日、南アフリカ・ケープタウン。オールブラックスのジョナ・ロムーは、ワールドカップ準決勝において、白いジャージィのイングランドの15番、マイク・キャットを白に芝の緑のこびりつくカーペットとさせた。タックルを跳ね飛ばし、というより、なかったものとして、地面に貼り付けたのである。なぎ倒し、踏み潰し、無にする。そのことを同時に行なった。あの光景を記者席から見た。さいわいにもラグビー史の「目撃者」となれた。

オールブラックスは45―29の完勝。ロムー、ひとりで4トライ。スーパースターは瞬時に誕生した。20歳になったばかりだった。敗軍のキャプテン、ウィル・カーリングは、おそるべき若者をこう表現した。「フリーク」。突然変異の人類…。

ロムーは、トンガの血を引き、ニュージーランド・南オークランドの貧困を隣人とする地域に長男として生まれた。約1年後、弟が生まれると、母の姉夫婦に預けられ、6年ほどトンガのハアパイ島で育てられる。帰国後、両親のもとに戻るも、12歳のころ、おじがギャングに殺されるなどタフな環境に囲まれたままだった。「父は息子に日常的な暴力をふるった」(ガーディアン紙)という記述も見つかる。ジョナ自身も警察の要注意対象だった。

ラグビーに救われた。15歳、荒れる息子は寮の学校、ウエズレイ・カレッジへ送られる。同校のコーチは「ラグビーが若い生徒の怒りと攻撃性の出口となりうる」と熟知していた。最終学年、ロムーは同校のキャプテンとなり、ニュージーランド高校代表に選ばれる。19歳の誕生日の1カ月後、ファーストクラスの試合を4度しか経験しないうちに、オールブラックスに呼ばれた。そして「カーペット」へ。

お知らせ

J SPORTSオンデマンドでは、
ジャパンラグビートップリーグを毎節4試合以上配信!


その他に関東大学対抗戦、関東大学リーグ戦、
関西大学リーグ、ラグビー大学選手権なども配信

ラグビーパック:月額1,800円(税抜)

※25歳以下の方は、U25割で月額900円(税抜)でご利用いただけます!
»詳しくはこちら





スカパー!×J SPORTS J SPORTS オンラインショップ