悲しみ。哀しみかな。ワールドカップ(W杯)とは、悲哀のコンテストだ。カナシミを秘める誇りの。

 南アフリカ。いま「虹の国」をうたい、かつて「白き帝国」であった。悪名とどろく「アパルトヘイト」の冷たく悲しく残酷な時代があった。人種隔離政策。白い肌に生まれなかった者は同じ人間ではない。おもにオランダ系白人のアフリカーナの支配するラグビーは、その象徴ともとらえられた。国内に3通りのラグビー協会があった。白人。黒人。そして「そのどちらにも属さない(いやな響きだ)」と定義されたカラード。それぞれが「隔離」されながら活動した。もちろんファーストクラスの扱いを享受するのは白人だけである。

 南アフリカのスポーツと政治を研究した『The Race Game』にこんなデータが引かれている。1983年のナタール州ピーターマリッツバーグという都市の人種別学校のスポーツ施設の比較。生徒数はいずれも1000人前後である。「白人学校のラグビー場は6面。インド人学校なし。黒人学校なし」。これがすべてだ。

 1995年、人種の融合を表す「虹の国」南アフリカに生まれ変わろうとしたW杯、期間中にポートエリザベスで、ダン・ワトソンの話を聞いた。愛称はチーキー、かつてスポーツ面を除く新聞のページに最も数多く取り上げられたラグビー選手のひとりである。

 77年、アパルトヘイト体制下、有望なWTBとしてスプリングボクスの有力な若手候補だった。ある日、他の3人の兄弟とともに黒人居住区タウンシップでラグビーを楽しんで警察に逮捕された。表向きの理由は「許可なくタウンシップに入ったから」。それでも兄弟は有色人種とのプレーをやめず、そのうち反アパルトヘイト活動にも身を投じる。放火など、さまざまな嫌がらせや弾圧にさらされた。インテリ階層ではなく素朴な白人スポーツ選手が反アパルトヘイト活動を始めた。チーキーは国際社会の英雄となり、また国内の保守派の白人、ラグビーのサークルからも「過激派」のレッテルを貼られた。

 インタビューの途中、チーキーは、何度か応接室の窓の向こうに視線を走らせる。あたかも刺客の襲撃を恐れるかのように。その首を突き出す仕草が忘れられない。

「個人的にはオールブラックスを応援している」

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