男子シングル『冬・四回転時代』
トリノ五輪後〜バンクーバー五輪

新採点システム(ISU Judging System)対応型の「得点を積算していくプログラム」が奏効したこの時代は、髙橋大輔さんにとって飛躍と(怪我による)挫折と栄光のステージでした。

【佐野先生が見た髙橋大輔時代(2)】

僕が最初に大輔を見た頃は「ジャンプのすげぇ子」という印象だった。でも次第に、この頃になると「表現したい」という本人が持っていた気持ちが出て来たんでしょうね。同時に「弱っちぃ大輔」はいなくなった。
それでも、2007年の世界選手権銀メダルは驚いたね!僕が初めて銅メダルを取って(1977年・東京)、本田武史が銅メダルを取る(2002年・長野、2003年・ワシントン)まで四半世紀かかってるんだから!そこから4年で銀メダルを取った。バンクーバー五輪の銅メダル(2010年)、世界選手権金メダル(2010年・トリノ)……結局、髙橋大輔という男は、『日本男子の歴史を全て塗り替えた男』なんですよ。

僕はアイスショーで「フィギュアスケートは、音を表現すれば成立する」と思ってやって来た。演歌を使ったこともある。「雨だれ」でも、音を表現出来ればフィギュアスケートは成立するんですよ。「音楽のジャンルは問わない」、それがフィギュアスケートだと考えていた。だからあのヒップホップの『白鳥の湖』(2007−2008SP)は「出来るじゃんーーーー、ここまで!」って。髙橋大輔だから表現出来た。「こういうフィギュアスケートを待ってたよ!」というものでしたね。

男子シングル界は6.0ポイント制と新採点システム(ISU Judging System)の端境期だったんだけど、四回転に挑戦しても「6.0のスケート」から抜けられない選手がいた中で、大輔は四回転も入れながら非常にうまく乗り切った。6.0時代から持っていたエッジワーク(スケーティング、ステップ)の正確さが活きたんじゃないかなと思いますね。(2008年四大陸選手権のフリーで2回四回転を決め総合得点「264.41」の当時のワールドレコードを打ち立てる。)

バンクーバー五輪の前のシーズンに怪我(右膝前十字靭帯断裂)をして、そこから大輔は「一選手」から、「日本の大黒柱」一家で言えば「親父」的な存在になったんじゃないかな。髙橋大輔を皆頼りにして、日本スケート界が大輔を中心に回っていたと思うんですがね、私は。あの怪我を乗り越えたことで、精神的支柱、『皆を支える強さを持った男』になった。

【冬・四回転時代の名演技】

・佐野先生も「待ってました!」の『白鳥の湖』(飛躍を遂げた2005−2008シーズンに師事したニコライ・モロゾフコーチの振付)や2007−2008EX(エキシビション)KENJI先生振付の『Bachelorette』の革命的な演技
・バンクーバー五輪シーズンの集大成的な演技で、得意のタンゴをスタッカートにもレガートにも魅せたKENJI先生振付のSP『Eye』、怪我から立ち上がれたその希望と強さを、笑いと優しさで描いていったFS『道』(パスカーレ・カメレンゴさん振付)……

と全部振り返りたいところですが、フィギュアスケートの醍醐味をもたらしたのが日本人初の銀メダルに輝いた2007年世界選手権FS『オペラ座の怪人』の演技です。

*2007年世界選手権FS『オペラ座の怪人』(ニコライ・モロゾフコーチ振付、フリー1位)*
ショートを終えて3位で迎えた最終グループの5番滑走。上位を争う選手達の好演技が続き、会場の東京体育館は髙橋大輔さんの登場で最高潮を迎えます。
スタート位置に着き『Masquerade』のオルゴールが流れる間、息を整え緊張を鎮める21歳のファントム。ファントムのテーマが始まると1回転して気高く両手を広げ開演を告げます。冒頭の四回転こそ片手を付きますが、様々な曲に合わせて移り変わるシーンのように、2本のトリプルアクセル・スピン・ステップでオペラ座の怪人の舞台が目くるめく展開していきます。
情感を送りながら烈火のごとくジャンプを決めていく「泣き」のメロディーの『Point of No Return』に続く魅せ場。ラストのステップの始まりに正体(醜い顔)を暴かれるファントム。憎しみや哀しみ、抗えない愛に苦しむファントムの演技に、東京体育館が一つになります。手拍子でファントムを支える会場。応援が物語を盛り上げるというフィギュアスケートの他にはない得難い瞬間が訪れた後、仮面を外したファントム、髙橋大輔さんの目から涙がこぼれました。

男子シングル『鬼・四回転時代(第二次四回転時代)』
2011年世界選手権〜

パトリック・チャン選手が髙橋大輔さんのワールドレコードを16.57点押し上げ総合得点「280.98」をマークした2011年世界選手権から、男子シングルは再び四回転時代に突入します。
2010年全日本選手権で、心技体が揃わない中FS『ブエノスアイレスの冬』でショーマンシップを燃やしショート4位から総合3位となり、その世界選手権に出場。
御本人が「惨敗(フリー本番で靴の故障があり総合5位に)」と評した2011年世界選手権は「これからの3シーズンは、みじめなものになるかもしれない。でも、ソチまで続ける。」と決起した試合でもあります。

新シーズンに入った2011年秋のインタビューの、その決意の言葉です。
「昨シーズンのモスクワ世界選手権で惨敗して、すごく新しい気持ちになって!若手も伸びて来て、実力のある選手も台頭して、ソチに行けるかどうかも分からない今、『これから3年間、どうやって自分は戦っていこうかな?』というのが新たなモチベーションになっています。若い子に、はじっこに追いやられるかもしれないけど(笑)『3年後、自分はどこのポジションにいるのかな?』と楽しみにして。新しいことに取り組んで、自分に対する期待感で一杯です!……みじめになっても、やるだけのことはやって。だめだったら『……だめだった!』で、すっきりすると思います。これからソチまでの3年間は、今まで以上に大事な3年間になります。そう意識出来ているからこそ取り組めるのかなと思います。」

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