いまだかつてない大型姉妹の登場だ。
高橋姉妹は、24歳の礼華(あやか)が女子ダブルス世界ランク3位で、22歳の沙也加(ともに日本ユニシス)が女子シングルス世界ランク13位。

これまで日本に宮村愛子&亜貴子姉妹、水井妃佐子&泰子姉妹といったオリンピック日本代表がいたが、同時期に姉妹そろって日本のエースを担うのは、ふたりが初めてだろう。

現在、ともに世界ランクは日本最上位で、今月25日から始まる世界選手権では、日本の顔としてデンマークに乗り込む。

小学校卒業後、礼華は宮城へ、沙也加は富山へ

ふたりは、実業団で本格的に野球をやっていた父と、バドミントンが好きだった母との間に奈良県で生まれた。母に体育館へ連れて行かれるうちにラケットを握るようになったという。

初めて全国大会に出たのは、礼華が小4、沙也加が小2のとき。このとき礼華が優勝、沙也加が準優勝したことで、姉妹の運命はバドミントンへと自然に導かれていく。
その後もふたりの快進撃は続き小学校を卒業するときには、他県の強豪中学校への進学を決意した。ふたりはたった12歳で奈良を離れることを決め、礼華は宮城県の聖ウルスラ学院英智中へ、沙也加は富山県の和合中に入学したのである。

今では強い小学生が卒業後、地元を離れるのは当たり前になっているが、当時はとくに女子選手が親元を離れるのは珍しかった。
それだけ「強くなりたい」という気持ちを抱いていた証拠だろう。

決意を秘める礼華と、熱いハートを持つ沙也加

そんなふたりだが、性格はだいぶ違うらしい。
礼華が苦境をどっしりと耐える“山”のようなタイプなら、沙也加は勝利を熱く希求する“火”のようなタイプなのだという。

たとえば礼華の気性は、高3のインターハイのときの様子によく現れている。礼華は、大会中、汗で滑ってまともに歩けないほどの捻挫を負った。しかし、「最後だから絶対に出たい」と、練習中も動けるところを無言でアピール。試合では、我慢して我慢してとうとうダブルス優勝を勝ち取った。

聖ウルスラ学院英智高の田所氏はこんなことを言っていた。「弱気にならず、本当にすごい選手だと思いました」

一方、沙也加については、高岡西高の麦谷氏がかつてこう評している。

「とにかく勝ちたい気持ちが激しい子。だから劣勢になると、頭が混乱して試合が崩れてしまうようなところもあるんです」

そのため、左腕からのするどい攻撃は非凡と称されても精神面が課題と言われることが多かった。

そんな沙也加が徐々に変わり始めたのは、高校卒業後、入社したパナソニックが休部となり、2013年2月、姉の所属する日本ユニシスへ移籍した後からだ。同年の全日本実業団選手権で日本ユニシスの一員として初めてプレーし、優勝に貢献した際、こんなことを言っていた。

「前はちょっとでもチャンスと思うと攻めてしまって、相手にとられてしまうことが多かった。でも、今はそういうときすぐには攻めないで、クリアーを入れたりして、本当のチャンスが来るまで我慢できるようになっている。そこが私の成長だと思います」

こんなふうに思い至ることができたのも姉・礼華の存在が大きかったらしい。それ以前、バドミントンに関し、姉へ相談事を持ちかけたことはないというが、同じチームになってからは姉に「思い切って」悩みを明かしてみたこともある。

そうやって沙也加は心と技を急速に成長させ、姉がいる世界の舞台に這い上がったのだ。さらに6月のヨネックスOPジャパンでは、礼華がスーパーシリーズで初優勝した一方、沙也加がロンドン五輪の銀メダリスト、王儀涵(中国)に勝つ金星を挙げた。

まだまだ伸びしろがある姉妹なのだ。今ではどちらもオリンピックのメダルを目標にしている。 さらにおもしろいことに、ふたりは別々の場所で同じことを言っていた。

「種目は違うけれど(互いは)ライバルです」

血がつながっているからこそ、負けたくない。これからも高橋姉妹の切磋琢磨は続いていく。

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鈴木 快美
1996年、ベースボール・マガジン社に入社。バドミントン、スキーなどの専門誌の取材・編集に携わる。12年からフリーランスになり、バドミントン、登山に関する原稿を中心に執筆している。

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