某公共放送で、1968年10月24日に行われたメキシコ・オリンピックの三位決定戦、日本対メキシコ戦のフルゲームを放映していたので見入ってしまった。1993年にJリーグが発足して、日本がワールドカップに出場するのが当たり前になり、今ではブラジルやイタリアやメキシコに連敗したといって非難される時代だが、それ以前の日本サッカー界にとって最高の戦績が、このメキシコ・オリンピックの銅メダルだった。

1968年当時、僕は16歳。高校1年生だった。サッカーを好きになって、自分でもプレーしながら、競技場に観戦に通うようになった初期のころである。東京オリンピックでアルゼンチンに勝った日本代表。韓国との死闘は引き分けに終わったものの、得失点差で出場権を得たメキシコ・オリンピック。相手の力もわからず、「予想」などまったくできなかったものの、決勝トーナメントが困難なことだけは確かだった。ところが、グループリーグを2勝1分で突破すると、日本は準々決勝ではフランス(オリンピック・チーム=少なくとも形式的にはアマチュア)を3−1と破ってベスト4に進出。ワールドカップと同じフル代表が出てきたハンガリーには0−5と大敗を喫したものの、日本は三位決定戦でメキシコを破って銅メダルを獲得したのだ。「10・24」は、僕にとっては聖なる数字となった。その後、西ドイツ・ワールドカップでヨハン・クライフを見て、「14」も聖なる数字に加わったが、「10・24」の輝きは僕にとって消えることはなかった。

そのフルゲームが、45年ぶりに初めて放映されたのである。日本は東京オリンピックのときに「衛星中継」の送出に成功しており、メキシコ・オリンピックのときにはすでに衛星中継の技術は確立されていたものの、当時の某公共放送は1日中オリンピックばかり放送しているわけではなかった。衛星回線も、かなり高価だったようである。放映時間は限られていた。当然、チャンネル数も1つである。サッカーのフルゲームの放送など不可能である。僕の記憶では、三位決定戦はたしか前半の途中から放映されたはずだ。いや、もしかしたら後半だけの放送で、得点場面はダイジェストだったか……。

朝の8時前に中継は始まった。当然、学校は遅刻するしかなかった。つまり、これまで、この試合の前半戦はほとんど見たことがなかったのである。試合を見る上で最も重要なのは、前半の立ち上がりだ。立ち上がりを見れば、両チームのゲームプランのようなものがはっきり見えてくるし、疲れていない時間だからこそ、各選手の特徴も見分けることができる。その後、ゴールが決まったり(決められたり)、退場者が出たり、疲労で足が止まったりと、ゲームは時々刻々と動いていくが、それはすべて応用であって、やはりゲーム全体で最も重要なのは序盤戦なのだ。

メキシコ・オリンピックの三位決定戦は、その大事な序盤戦を見たことがなかったのだ。ゲームは、前半のうちに釜本邦茂の2ゴールで日本が2−0とリード。放送をご覧になった方はよく分かるように、後半は2点を追うメキシコが攻め込み、(釜本を除いて)ほぼ全員でゴール前を固めた日本がはね返し続けた。PK失敗を含めてメキシコが拙攻を繰り返したため、愛想を尽かせた地元の観客は自国の代表を非難し始め、「ハポン、ハポン」と日本を応援。スタンドからは座布団が飛び、観客はスタンドに入ったボールを返さない……。この辺のシーンは、生中継で見た記憶が鮮明だ。

だから、「ただただ、守備一辺倒だった日本」という印象が強かった。だが、フルゲームの映像を見ると、前半の試合展開は印象とはかなり違っていたようなのだ。もちろん、当時の日本代表のゲームプランは、全員で守って、杉山隆一と釜本のコンビで点を取って勝つというものだ。マンツーマンのDFラインの後ろには、スイーパーの鎌田光夫が余っている。前半から、日本は中盤での守備を諦めて、ペナルティーエリアの前15メートルくらいのところに第一の守備ラインを敷き、相手のドリブルやパスのコースに丹念に体を入れ、ゴール前のスペースを消して守っていた。だが、印象として残っているようなただ「はね返すだけ」の守備ではなかった。

引いてはいるが、きちんとした守り方をしている。たとえば、バルセロナを相手に、モウリーニョのインテルやヒディンクのチェルシーがやった守備と同じようなことだ。そして、前線の選手も献身的に守備をした。八重樫茂生の負傷による欠場でMFとして出場していた渡辺正はもともとFWの選手だが、2列目で豊富な運動量で相手を追い回している。両ウィングの松本育夫と杉山も、守備の局面ではしっかりと戻って相手のドリブルのコースを塞いでいる。そして、DFがクリアしたボールをテクニックのあるMFの森孝慈や宮本輝紀がしっかりつないで、両ウィングを走らせ、釜本にボールを供給し続けた。

これまで見たことのなかった序盤戦。日本は、たしかに守備的ではあったが、プランに基づいてきちんとした試合をしていたのである。もちろん、現代のサッカーとの比較は不可能だ。第一、この試合は、2000メートルの高地で中1日の連戦で6戦目なのだ(最近のオリンピックと違って、当時はサッカーも開会式の後で開幕した)。しかし、最近の、せっかく強豪から2ゴール、3ゴールを奪っても、あっさりと4失点して負けてしまう日本代表を見慣れていると、粘り強く守りきり、けっこうしたたかに時間稼ぎなどもしている日本代表が新鮮に映った。公式戦で、自分たちより強い相手に勝負を挑むためには、やはり守りから入るしかないというのが正解なのだろう。

まあ、もっとも、あの戦い方で勝利を引き寄せることができたのは、絶対的ストライカーである釜本の存在があったからでもある。ワンチャンス、ツーチャンスでもしっかりゴールを決めることで相手に焦りを生じさせたからこそ、日本は90分間守りきれたのだろう。現在の日本代表には、残念ながら釜本はいない。しかし、その代わりに優秀なMFはそろっている。守りを固める試合展開をしながらも、ボールを奪ったら、それなりに中盤でボールを持つことはできるだろう。そして、釜本はいなくても、1968年当時の日本にはなかったセットプレーという武器も持っている……。

いろいろと考えさせられた、フルゲームの「中継」ではあった。

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後藤 健生
1952年東京生まれ。慶應義塾大学大学院博士課程修了(国際政治)。64年の東京五輪以来、サッカー観戦を続け、「テレビでCLを見るよりも、大学リーグ生観戦」をモットーに観戦試合数は3700を超えた(もちろん、CL生観戦が第一希望だが!)。74年西ドイツ大会以来、ワールドカップはすべて現地観戦。2007年より関西大学客員教授

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