まさか、こんな大役が任されるとは思ってもみなかったことだろう。しかも、開幕1か月という早い時期に。実際、スプリングトレーニングでは次のように語っていた。
「レベルの高いブルペンだけど、開幕ロースターに入りたい」
それがアメリカでプロの世界に身を投じて5年目を迎えた田澤純一のチャレンジだった。初の開幕ベンチ入りから一足飛びの大役。戸惑いがない方がむしろ不自然だろう。「今まで通り、1球1球を大事に投げていきたい」というものの、セーブがつかない状況での登板もあってか、まだ本来の力を発揮できないでいる。 クローザーに指名されたのは5月7日(現地)のことだ。開幕時点でのクローザーは移籍のジョエル・ハンラハン。しかし、すぐに右ハムストリングを痛めて故障者(以下DL)リスト入り。その間、代役を務めていたのがセットアップマンのダンドリュー・ベイリー。ところが、ハンラハンが復帰して元の役割に戻った途端に故障を起こしてDL入り。そして、日を置かずして、ハンラハンが今度は右前腕部を痛め、シーズン絶望の手術を受けることになってしまった。この一大事に代役の代役として、重要な役割を任されることになったのが26歳の田澤というわけだ。

レッドソックスにはクローザーを目指していた上原浩治という選択肢もあった。しかし、ジョン・ファレル監督は田澤を選んだ。「パワーがあり、球速がある。最終盤は球威のある投手に任せるというのが、古くからのメジャーのやり方だからだ」
田澤は最速97マイルの快速球と、打者の手元で鋭く落ちるフォークボールを武器に、クローザー指名時点で、チーム最多の16試合に登板して2勝1敗、防御率2・51,三振18を奪い、リーグトップの8ホールドをマークしていた。自信をつけたのは昨シーズン。それがはっきり自覚できたのは、9月11日の対ヤンキース戦だ。「イチローさんを三振に打ち取ることができた。自分の力が通用する」と、思えた瞬間だった。

田澤はチームが低迷する中、主に8回を任されるセットアップマンを務め、37試合に登板して1勝1敗、防御率1.43の好成績を挙げて今シーズンに繋げた。 日本のプロ野球を経験しないでメジャーに挑んだ。有力なドラフト1位指名候補といわれながら、メジャーへの道を選択して指名を拒否したことで激しい論争が起こった。非難もされた。海を渡っても、逆風にさらされた。09年にはメジャー昇格を果たし、初勝利をマークして道が開けたものの右ヒジを痛め、10年に入って右ヒジ靭帯移植手術、通称トミー・ジョン手術を受けて、約1年を棒に振った。

「つらかったのは、確かにつらかった。でも、いつかメジャーのマウンドに帰ってくるんだという一念でリハビリに取り組んだ」
彼の性格なのか、厳しい逆風にさらされてきたせいなのか、感情を表すことなく淡々とした口調で語る。チームメイトだった齋藤隆(現楽天)とは深い交流がある。オフには一緒にトレーニングをしている。「隆さんからは準備の仕方、試合での気持ちの持ち方など、いろんなことを教わった。それがどういうことなのか、やっとわかるようになってきた」
身近には、「たくさん学びたい」と願う上原というお手本がいる。田澤はそんなリリーフのエキスパートのエッセンスを投球に生かして、超人気球団のクローザーとしてマウンドに上がっている。颯爽とした姿が、そこにある。

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出村 義和
法大社会学部、ユタ州立大学ジャーナリズム科卒。ベースボールマガジン社で週刊ベースボール編集長などを務め、渡米。ニューヨークを拠点に長年に渡って取材・執筆を行う。05年夏、拠点を日本に移し、日米間を往復しながら現地取材を続けている。09年からJ SPORTSでMLB実況中継の解説を務める。著書に『メジャーリーガーズ』(小学館文庫)など。スポーツジャーナリスト。

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