数日前の話だが、21日に浦和レッズの大原グランドまで取材に行った。この日は長年の功労者・田中達也が戦力外通告を受けたことが公式HPで発表された直後で、報道陣が大挙して集まっていた。これだけの関心を集めるのは、彼の偉大な功績ゆえだろう。田中達也という選手が浦和の歴史の中でどれだけ大きかったかを改めて痛感させられた。

小柄なスピードスター・田中達也が帝京高校から浦和入りしたのは2001年。浦和がJ2からJ1に復帰し、チーム再建に乗り出した年だった。167僂両兵選手がピッチを縦横無尽に駆け回って相手守備陣をきりきり舞いする姿は、瞬く間にサポーターの心を惹きつけた。攻撃面だけでなく、豊富な運動量を生かしたアグレッシブな守備も高く評価された。サッカー選手は体格に恵まれなくても、賢さや献身的な姿勢があれば十分活躍できることを、彼は身を持って示したのだ。

そんな田中達也は入団1年目から出場機会を得て、ハンス・オフト監督が就任した2002年からは中心的なアタッカーに成長。翌2003年のナビスコカップではニューヒーロー賞とMVPをダブル受賞。浦和を初タイトルへと力強く導き、名実ともにレッズのエースに躍り出た。

それ以降の浦和は劇的な成長曲線を描き、2004年J1第2ステージ制覇、2005年天皇杯優勝、2006年にはJ1年間タイトルと天皇杯の2冠を達成する。そして2007年にはアジアチャンピオンズリーグ(ACL)で頂点に立ち、FIFAクラブワールドカップでも3位に輝く。田中達也はそんな「強いレッズ」の象徴として位置付けられた。かつて浦和にいた永井雄一郎(横浜FC)も「ある時、出番が少なかった自分が移籍を志願したら、クラブ側から『達也がケガがちだから、お前も(穴埋め的に)いてくれないと困る』と言われたことがある。それくらい達也は攻撃陣の絶対的中心と見なされていた」と証言したほど、存在を重要視されていた。今季1年間一緒にプレーした槙野智章も「ピッチに入ってくるだけでガラッとスタジアムの雰囲気を変えられる選手はそうそういない。達也さんはそういう意味でも特別な選手だった」と語っていた。

クラブ側から寵愛を受け、サポーターからの絶大な支持を得た田中達也だが、肝心なところでケガを繰り返してきたのも確か。それが災いして、日本を代表する選手になりきれなかった。過去に出場した主要国際大会は2004年アテネ五輪だけ。A代表も2005年東アジア選手権(韓国)でデビューしたものの、ジーコジャパンには定着できず、オシムジャパン時代も指揮官に才能を認められながら負傷に泣かされた。岡田武史監督率いる体制移行後も、指揮官のクビがかかった2008年11月のカタール戦(ドーハ)で値千金のゴールを決めたが、最終的に南アフリカへ行くことはできなかった。同世代の田中マルクス闘莉王(名古屋)や松井大輔(スラビア・ソフィア)、大久保嘉人(神戸)らが南アの地で活躍するのを、彼は一体どんな思いで見つめていたのだろう……。

浦和でも、今季チームを率いるようなったミハイロ・ペトロヴィッチ監督の信頼を得られなかった。「監督の考える選手に慣れなかったのは悔しい。チームが3位という中で、自分が力になれなかったことに悔いが残る」と本人も不完全燃焼感を吐露した。確かにリーグ戦6試合出場0得点というのは、12年間の浦和でのキャリアの中でワーストだ。9月8日の天皇杯2回戦・ヴォルカ鹿児島戦でチームを救う同点弾を挙げたのが2012年唯一のゴールというのは、やはり寂しすぎる。こうした結果、30歳を迎える直前に契約打ち切りという結末を迎えた。勝負の世界は非情なものである。

本人はカテゴリーを問わず、現役続行を希望している。家族の承諾があれば、海外へ行くことも辞さないという。その強い意志には敬意を払いたいが、長年繰り返してきたケガがマイナス要素になるのではないかという危惧はある。ベテラン選手はどうしても負傷離脱するケースが増えるが、田中達也の場合は20代のうちからその回数があまりにも多い。となると、下部リーグのチームであっても「コンスタントにプレーできない可能性の高い選手を補強するのはリスクが高すぎる」と考える傾向が強いだろう。実際、いくつかのJ2クラブ関係者からもそういうコメントを耳にした。そんな事情があるだけに、移籍先探しはやや難航するかもしれない。

とりあえずは浦和の残り少ない今季にベストを尽くすことが肝要だ。本人も「まだリーグ戦もあるし、天皇杯もある。大事な試合が続くので、ピッチ内外で自分のやれることをしたい」と意気込みを口にしていた。そういう彼の献身的姿勢が評価され、浦和で有終の美を飾り、ベストな新天地が見つかることを切に祈りたい。

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元川 悦子
もとかわえつこ1967年、長野県生まれ。夕刊紙記者などを経て、94年からフリーのサッカーライターに。Jリーグ、日本代表から海外まで幅広くフォロー。ワールドカップは94年アメリカ大会から4回連続で現地取材した。中村俊輔らシドニー世代も10年以上見続けている。そして最近は「日本代表ウォッチャー」として練習から試合まで欠かさず取材している。著書に「U-22」(小学館)「初めてでも楽しめる欧州サッカーの旅」(NHK出版)ほか。

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