4月15日は、史上初のアフリカ系アメリカ人選手ジャッキー・ロビンソンのデビューを記念した日だった。すでに方々で語られているようなので詳細は割愛させて頂くが、全チームで永久欠番となった背番号42を、この日に限っては選手全員が背負う。だがこの日の意義を真剣に理解しているのは、もはや一部のアフリカ系アメリカ人選手か、正義感に駆られたメディアぐらいだけかも知れない。我々メジャーリーグの現場で働く日本人も、恒例行事と受け取っている。つまり「日本人の○○選手が普段の○番とは違い、この日は42番を背負った」というニュースを、毎年のように発信し続けているからである。

毎年、“ジャッキー・ロビンソンの日”には、各球団に所属していたアフリカ系アメリカ人のOBが大勢、招待される。それはロビンソン=アフリカ系アメリカ人の代表という意識の表れに思える。

なぜだろうか。

偉大なる先人に対する尊敬の念を傾けるのはどこの国でも同じだと信じるが、これほど一人の選手にリスペクトが集まるのは、ロビンソンが現役を引退後も人種差別と戦い続けた人であり、いわゆる“黒人指導者”のマーティン・ルーサー・キング博士やマルコムXらと同じ比重で語り継がれているからだろう。

白人専用バスに乗車拒否された時代を想像できるだろうか?
白人とは違うホテルやトイレを使うことを強要された時代を想像できるだろうか?

ロビンソンはそんな時代に白人ばかりのメジャーリーグでプレーし、生きていたのだ。

ロビンソンを史上初のアフリカ系アメリカ人選手に抜擢したブルックリン(現ロサンゼルス)・ドジャースの元オーナー、ブランチ・リッキー氏は、ロビンソンを実力だけで評価したわけではなかったという。実力だけなら、すでに28歳のロビンソンよりも、当時ニグロ・リーグで活躍していた10代のウイリー・メイズ(元ジャイアンツ)ら、ほかの多くの若い選手のほうが優れていたと言われている(通算成績の上では確かにその通りだ)。だがリッキー氏は、頑固で勝気な性格であるのを百も承知で、元軍人のロビンソンが「アフリカ系アメリカ人を代表出来る、優れた人格者だ」と判断したのだという。

ロビンソンはその奇妙な期待に応えた。彼がいつでも内なる“怒り”と戦っていた事実が明らかにされたのは、ずっと後になってからのことだ。彼が自分自身や自分の人種に向けられる偏見と、常に戦っていたと明らかになったのは、自叙伝やほかの多くの外伝が後年、出版されてからのことである。彼はJack Roosevelt Robinsonであるがゆえに、現役時代だけではなく、引退してからも“人種差別と戦うアメリカ人”という看板を背負い続けたのだ。

だからきっと、この日があるのだ。
“ジャッキー・ロビンソンの日”は、単に史上初のアフリカ系アメリカ人が誕生した日ではない。死ぬまで人種差別と戦い抜いた偉大な先人が、メジャーリーグという名の白人社会で、公然と戦い始めた日なのである。

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ナガオ勝司
1965年京都生まれ。東京、長野を経て、1997年アメリカ合衆国アイオワ州に転居。1998年からマイナーリーグ、2001年からメジャーリーグ取材を本格化。2004年、東海岸ロードアイランド州在住時にレッドソックス86年ぶりの優勝を経験。翌年からはシカゴ郊外に転居して、ホワイトソックス88年ぶりの優勝を目撃。現在カブスの100+?年ぶりの優勝を体験するべく、地元を中心に米野球取材継続中。 訳書に米球界ステロイド暴露本「禁断の肉体改造」(ホゼ・カンセコ著 ベースボールマガジン社刊)がある。「BBWAA(全米野球記者協会)」会員。

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