アジアカップ制覇や東日本大震災発生によるJリーグの中断、なでしこジャパンの女子ワールドカップ優勝など、さまざまな出来事のあった2011年の年の瀬になって、またもビッグニュースが飛び込んできた。29日の天皇杯準決勝で格下であるはずのJ2・京都サンガに2-4で完敗を喫した直後、横浜F・マリノスの木村和司監督が契約を残して電撃解任される事態に発展したのだ。

2010年の就任1年目はタイトル争いに一度も絡むことなく8位にとどまった横浜。今季を迎えるに当たり、故・松田直樹や山瀬功治、田中裕介(ともに川崎)、河合竜二(札幌)、坂田大輔(FC東京)ら実績ある選手たちを次々と移籍させ、川崎フロンターレから谷口博之、柏レイソルから小林祐三、東京ヴェルディから大黒将志をそれぞれ補強。戦力充実を図って、2年目こそ優勝を実現させるつもりだった。

木村和司監督がまず採った策は守備を徹底的に固めることだった。「和司さんが岡田(武史=杭州緑城監督)さんになったみたいだ」とメディアの間でも噂になるほど、今季の横浜は手堅い守りを前面に押し出すチームに変貌した。華麗な攻撃サッカーを目指すより、失点を減らすことが上位進出の早道だと日本代表でエースナンバー10をつけたことがある指揮官は割り切ったのだろう。「今年は社長も絶対に勝てと言ってるし、俺も優勝したい」と木村和司監督が語気を強めたことがある。キャプテンの中村俊輔も「見ている人には面白くないかもしれないけど、1本2本のパスでゴールまで行くのはシンプルだし効率的」とキッパリ言いきるなど、指揮官の初タイトルへ強い意欲を支持していた。

この戦い方で前半戦は柏とともにJ1優勝争いをリード。チーム最大の武器である栗原勇蔵、中澤佑二の両代表経験者が担う最終ラインも安定していた。ところが、その堅守が夏以降、ガラガラと音を立てて崩れ始める。「どうも守りきれない」と栗原もしばしば首を傾げていたが、ちょっとしたところでミスが出て、敗戦へと直結する。攻撃の軸をなす中村俊輔の負傷離脱も響いて得点力も低下。チームは悪循環を強いられ、9月以降のリーグ戦ではヴァンフォーレ甲府に1勝しかできなかった。一時は柏、名古屋グランパス、ガンバ大阪との4強体制でタイトル争いを繰り広げていたのに、いつの間にか上位3強に大きく水を空けられ、最終的にはベガルタ仙台にも抜かれてしまう。5位という結果は、木村和司監督自身もクラブとしても歓迎できるものではなかった。

だからこそ、天皇杯獲得に全てを賭けていたのだろう。リーグ戦で3位以内確保に失敗しても、天皇杯で優勝すれば悲願だったアジアチャンピオンズリーグ(ACL)出場権を獲れるからだ。他のJ1クラブが次々と敗れ去っていく中、横浜は讃岐、栃木、松本山雅、名古屋を順当に撃破し、4強入り。そこで準決勝の相手がJ2の京都と組み合わせに恵まれたのだから、クラブ側が勝利をノルマにするのも頷ける話。しかし木村和司監督が拠り所にしていたディフェンスが崩れてしまった。後半開始早々の工藤浩平の芸術的なミドルシュート、それに続くドゥトラのFKは相手を褒めるしかない得点だったが、延長後半に18歳の高校生FW久保裕也に決められた3点目、その久保にサイドを割られて同じ京都ユース出身の駒井善成に押し込まれた4点目は完全に後手を踏んだ。この守備の崩れが今季終盤の横浜を象徴していた。

失点が多くなった時、それ以上にゴールを挙げる術を今季の彼らは見出しきれなかった。木村和司監督は大黒と小野、渡邉千真を頻繁に変えながら使った。FW陣の奮起を促しながら、決定力を少しでも高めようとしたかったからだろう。しかし渡邉千真がシーズン中に「なんでこんなに早々と代えられるのか分からない」と不満を漏らした通り、その起用法に選手たちは必ずしも納得していなかった。彼ら3人が結果を出せなければ、もともとDFだった長身のキム・クナンを前線に置くだけという選手交代も単調すぎる印象が強かった。柏のレアンドロ・ドミンゲスや名古屋のケネディのような決定力の高い助っ人を補強できないクラブ側にも責任はあるだろうが、Jリーグ監督経験が皆無だった木村和司監督にはそれ以上の手を編み出すことができなかったのかもしれない。

ただ、今季も前半までは悪くない戦いをしていただけに、ここでの契約打ち切りは惜しい。木村和司監督にもう1シーズンやらせてみてもよかったのではないか。昇格が決まった樋口靖洋監督は長年、横浜で働いていて選手の特徴は十分把握している人物。しかし指揮を執ったモンテディオ山形や大宮アルディージャ、横浜FCで目覚しい結果を残しているわけではないだけに、一抹の不安もある。来季以降の横浜がどんな方向に進むのか。樋口新監督がどんな建て直しを図るのか。J屈指の名門クラブのいち早い復活を強く望みたい。

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元川 悦子
もとかわえつこ1967年、長野県生まれ。夕刊紙記者などを経て、94年からフリーのサッカーライターに。Jリーグ、日本代表から海外まで幅広くフォロー。ワールドカップは94年アメリカ大会から4回連続で現地取材した。中村俊輔らシドニー世代も10年以上見続けている。そして最近は「日本代表ウォッチャー」として練習から試合まで欠かさず取材している。著書に「U-22」(小学館)「初めてでも楽しめる欧州サッカーの旅」(NHK出版)ほか。