5月初旬は例年、初夏のような気候が続くものだが、今年は肌寒い日が多い。朝から激しい雨が降った7日も気温20度には達しなかった。そんな悪天候にかかわらず、この日はあえて2試合コースを選んだ。Jリーグの前になでしこリーグの日テレベレーザ対INAC神戸レオネッサ戦が見られるからだ。女子サッカー界の大一番が駒沢陸上競技場で行われると聞いて、喜んで出かけた。

日テレベレーザといえば、2000年以降だけで数えても8回優勝を誇る名門中の名門だ。ところが2009年後半に日テレが経営面から撤退。東京ヴェルディに運営が移管された。しかしチーム存続危機に陥った東京Vに十分な女子チーム運営資金を捻出できるはずがない。そこで、昨季限りでプロ契約選手放出を決断。澤穂希、大野忍、近賀ゆかりら北京五輪4位の立役者たちは揃ってINACへの移籍を余儀なくされた。INACは総合スポーツクラブを幅広く展開しており、ここへきて女子サッカーを強化。急速に力をつけている。そんな新天地で第一歩を踏み出した彼女らが古巣に初めて挑む「因縁マッチ」ということで、我々も興味を持ったのだ。

今季の日テレには、5月中旬のなでしこジャパン・アメリカ遠征に招集された岩清水梓、岩渕真奈、過去に代表経験のある小林弥生や木龍七瀬ら実績あるタレントが何人かいる。だが、今回のベンチ入りメンバー16人中5人が10代と非常に若い。INACの方は澤、大野、近賀を筆頭にアメリカ遠征メンバー8人がズラリと並んでおり、苦戦は必至と見られた。今季から日テレを率いる野田朱美監督は「今出せるものを全部出してほしい。相手の戦力を考えたら守備的になることもあるだろうけど、受け身になったら失点する。チャレンジャー精神で戦おう」と経験不足の選手たちを懸命に鼓舞したという。

「野田朱美」といえば、女子サッカーをそれほど深く知らない人でも名前を聞いたことがあるだろう。中学3年だった84年から女子代表入りし、96年アトランタ五輪にキャプテンとして日本を導いた名MFである。背番号10を背負い、ドイツ戦で挙げたゴールは多くの人々に感動を与えた。後輩である澤穂希とは当時の代表で一緒にプレーしている。

引退後はアメリカに渡り、プロゴルファーを目指して修業したが断念。帰国後はコメンテーターなどをしながら自分の進むべき道を探していた。その頃の彼女は「会計士の勉強をしている」と言っていたこともあった。それでも、やはりサッカーは特別なものだったに違いない。2008年に日本サッカー協会特認理事に就任。再びサッカーと真剣に向き合う中で、指導者としてやっていこうと決意したのだろう。今季から古巣の立て直しに一役買うことになったのだ。

とはいえ、女子サッカーを取り巻く環境は以前とは比べ物にならないほど厳しい。彼女が現役だった頃は海外トップ選手が当時のLリーグに結集するような華やかさがあったが、日興證券や田崎真珠ら有力企業が次々と撤退。福島原発問題の発生で東京電力も無期限活動中止を強いられた。日テレも財政難に直面するなど、選手たちは本当に大変だ。

「今年は主力が抜けたうえ、人数も減り、大震災が起きて練習時間を満足に割けなくなるなど、開幕前にかなりバタついた。私自身、選手に迷惑をかけて申し訳ないという思いがある。それでも頑張ってくれる彼女たちを気遣わなければいけないという思いがある反面、勝負なんだから厳しくいかないといけないという気持ちもある。指揮を執るようになってからはそんな思いが交錯する日々ですね」と野田監督は率直な思いを打ち明ける。

こうしたさまざまな障害を乗り越え、真っ向からぶち当たったINAC戦は案の定、0-2で敗れた。前半終了間際に奪われた先制点、後半36分の2点目はともに大野がお膳立てしたのだから皮肉なものだ。ボランチに入った澤は精力的に走り回って確実にゲームをコントロールしていたし、近賀も右サイドで存在感を発揮していた。それでも前半はむしろ日テレが主導権を握っていた。岩渕が積極的なドリブルで前へ行く姿勢を見せ、昨秋のU-17女子ワールドカップ準優勝メンバーのDF村松智子も相手の迫力ある攻撃を体当たりで止めていた。

「村松には『びびるな』と言っていた。ナーバスになってすぐヒョロヒョロのバックパスをするし、狙われたのもわかっていたけど、それを乗り越えないと成長しない。私も彼女たちと成長できたらいい」と野田監督は強豪相手の若手の頑張りを称えた。10代選手を粘り強く使って鼓舞し続けるのも、自分自身が同じように若い頃から鍛えられてきたから。女子サッカー黎明期を知る指導者が貴重な経験をしっかりと若い選手たちに伝えられたら、日本のレベルはより上がるだろう。そういう意味でも野田監督のような人にはもっと頑張ってほしい…。そう実感させられる女子の強豪対決だった。

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元川 悦子
もとかわえつこ1967年、長野県生まれ。夕刊紙記者などを経て、94年からフリーのサッカーライターに。Jリーグ、日本代表から海外まで幅広くフォロー。ワールドカップは94年アメリカ大会から4回連続で現地取材した。中村俊輔らシドニー世代も10年以上見続けている。そして最近は「日本代表ウォッチャー」として練習から試合まで欠かさず取材している。著書に「U-22」(小学館)「初めてでも楽しめる欧州サッカーの旅」(NHK出版)ほか。