はたしてアーセナルのベンゲル監督は、日本代表ザッケローニ新監督の携帯電話の番号を知っているだろうか。どうでもいいことのように見えるが、実はそこに17歳の高校生の運命がかかっているのだ。

18歳になる12月14日を待って、アーセナルと契約することが決まった、U−19日本代表で、中京大中京高3年のFW宮市亮である。この8月、アーセナルの入団トライアルを兼ねて、練習に参加。アーセナル・リザーブのプレシーズンマッチの2試合に出場したあと、アヤックス(オランダ)の入団トライアルにも参加した。練習試合のスケベニンゲン戦で相手から左すねにタックルを受けて、左足ひ骨を亀裂骨折してしまい、予定を早めて失意の帰国となったが、アーセナルから朗報が届いた、というわけだ。

宮市については、鹿島が真っ先にオファーを出し、その後、浦和、名古屋も加わって、猛烈に獲得合戦を繰り広げた、といわれている。だが宮市は「すぐに海外でプレーしたい」とその意志を貫いた。日本の高校生が、Jリーグを経由せず、直接、海外のクラブと契約するのは、伊藤翔<中京大中京高→グルノーブル(フランス)、現在清水エスパルス>と、風間宏希<清水商→ロウレターノ(ポルトガル)>に次いで史上3人目だ。

だがアーセナルと契約したからといっても、EU籍外選手は、英国の労働許可証を取得しなければ、プレミアリーグはおろか、リザーブリーグにも出場できない。この英国の労働許可証は、これまで何度も日本人選手のイングランド移籍を阻んできた、大きな壁だ。発給目安は、自国のフル代表として、過去2年間の公式戦での出場率が75%以上、となっている。また特例として、「類まれな才能ある若手選手」と認められれば、発給された例がある。水野晃樹(現在柏レイソル)が、2008年1月にセルティック(スコットランド)へ移籍したときなどがそうだ。といっても、最低でもフル代表歴が、「1試合」は必要になってくる。

おそらく宮市は12月に契約したあとは、ベルギーリーグなどへ期限付き移籍し、経験を積み、フル代表へ呼ばれて労働許可証が取得できるまで、修行を積むことになる。それは1年か、2年か…。だが、もしベンゲル監督がザッケローニ監督の携帯に電話をかけ、「いいストライカーがいるんだ。リオ(宮市はアーセナルでは「リョウ」ではなく、「リオ」と呼ばれている)をフル代表に呼んで欲しい」と売り込んだら、どうだろう。ザッケローニ監督も「ベンゲル監督がいうなら」と招集し、使ってみるかもしれない。日本では、あまり馴染みのない手法かもしれないが、欧州では監督や関係者を通じた売り込みや推薦は、とても重要なきっかけになることがある。

極上のシナリオを描くならこうだ。現在、左足ひ骨の亀裂骨折からの復帰を目指してリハビリ中の宮市だが、早々に復調。10月に中国・淄博(しはく)などで行われる、2011年U−20ワールドカップ・コロンビア大会のアジア予選を兼ねたU−19アジア選手権で大活躍し、ザッケローニ監督の目にとまる。

現在、日本協会は、11月17日のインターナショナルマッチデーには、日本代表の親善試合を行わない方針だが、ザッケローニ監督が「来年1月にアジアカップが控えているから、強化試合をやりたい」と主張し、急遽、試合開催が決定。ザッケローニ監督はその11月の国際親善試合で宮市を途中出場させ、「代表キャップ1」となる。12月に労働許可証申請。特例が認められ、労働許可証が発給される。来年1月の移籍市場で、晴れてアーセナルの選手になる…。

あまりにもでき過ぎのストーリーか…。しかし、例えアーセナルの所属選手になれたとしても、リーグ戦へ出場するには、もっと過酷な競争が待っている。さらにレギュラーを獲得し、活躍できるようになるのは、ごくごく少数の選手だけだ。かつて稲本潤一でさえ、1試合もできなかった世界である。前途多難な、いばらの道を宮市はどうやって這い上がっていくのか。大河ドラマがいま始まろうとしている。

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原田 公樹
1966(昭和41)年8月27日横須賀生まれ、呉育ち。国学院大学文学部中退。週刊誌記者を経てフリーのスポーツライターとして独立し、99年に英国へ移住。ウェンブリースタジアムを望む、北ロンドンの12階のアパートメントに住んでいる。東京中日スポーツやサッカーマガジンに寄稿し、ロンドン・ジャパニーズの不動の左サイドバックでもある。 »Twitterアカウント »メールを送る

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