(c)Yuzuru SUNADA
(c)Yuzuru SUNADA

残り15kmで1分24秒、残り10kmで58秒、残り5kmで30秒、そしてフィニッシュラインでは4秒差。誰がこんな白熱した展開になると予想していたのだろうか。スプリンターたちはどうやら計算ミスをしでかしてしまったようだった。この日の最高タイム差は46km地点の5分40秒だったというのに。

地球上で150カ国に中継されているジロ・デ・イタリアだが、中でも大いに手に汗握り、TVの前で声を嗄らして応援したのは日本とフランスのファンだったに違いない。なにしろスタート前に所属チームから「飛び出し解禁」を言い渡され、ならば本人も「飛び出します」と宣言していたフランスチームの日本人、新城幸也が18km地点で単身アタックをかけたのだ!さらに29km地点で新城に追いついてきた3選手のうち、ジェローム・ピノーとジュリアン・フシャールの2人がフランス選手だった。残る1人はマリア・ヴェルデを身にまとうドイツ人のポール・ヴォス。第2ステージの大逃げでまんまと山岳ジャージを手に入れていたヴォスの狙いは3ステージぶりに登場した山岳ポイントでのジャージ保守であり、2つの峠を無事に先頭通過すると静かに後退して行った。

つまり最後の約25kmは、たった3人だけで迫り来るプロトンの魔の手から逃れなければならなかった。自身10回目のグランツール出場となる経験豊かなピノーは、昨ツールに続く2度目のグランツールを走る新城、そして今季プロ入りしたばかりの若きフシャールに、「山まではゆっくり、その後は全力で」とアドバイスしていた。その通りに全速力でペダルを漕ぎ続けた3人は、最終盤の細く曲がりくねった道に助けられながら、ギリギリのリードを保ち続けた。

後方では早くからアレッサンドロ・ペタッキ擁するランプレ・ファルネーゼヴィーニがスピードコントロールに務めていた。しかし「他のスプリンターチームが協力してくれなかった。最終盤になってようやく協力し始めたころには、逃げるのに有利な追い風がふいていたんだ」とランプレのボンテンピ監督が大いに不満を漏らしたように、ガーミン・トランジションズ(タイラー・ファラー)やチームHTC・コロンビア(アンドレ・グライペル)が追走に加わったのは残り30kmに迫ったころから。さらには高速集団スカイ・プロフェッショナルサイクリングチーム(クリストファー・サットン)ときたらラスト5kmほどまでトレインを組もうともせず――逃げ集団にとっては幸いだったが――、後続集団が簡単に思い描いていたようにはタイム差は縮まっていかなかった。

しかもプロトンが3人をついに視線の中に捕らえたとき、新城幸也が残る力を振り絞った。「最後にユキヤがアタックしなければ、3人は吸収されてしまっただろう」とBbox ブイグ テレコムのアルヌー監督も断言する。そう、ラスト1200mで新城が見せた果敢な攻撃こそが、後続プロトンの追撃を完全にシャットアウトしたのだ。ただし逃げを救った新城の行動は、新城自身の優勝の可能性を犠牲にしてしまった。「3人の中で新城が1番強かった。でも加速するタイミングが早すぎたんだ」と、最終的に3人のスプリントを制したピノーも認める。そのピノーが最終盤にわざと体力を温存していることを、新城は十分承知していたと言う。「それでも最後に勝負をかけた。でもあれでエネルギーを使い果たしてしまい、もうスプリントする脚が残っていなかった」と、最終100mはピノーとフシャールの争いに加わることなく、3番目でゴールラインを越えた……。2009年ツール・ド・フランス2日目に集団スプリントで5位に入り、われわれ日本のファンに嬉しい衝撃を与えてくれた新城。今回は自分で作り出した逃げで最後まで積極的に力を尽くしての区間3位で、間違いなく世界中の自転車ファンに新城幸也の名前と実力をしっかりと見せ付けた。

ちなみにこの日「144km」の逃げ距離を記録した新城は、第5ステージの「プリモ・フーガ(大逃げ賞)」で1位にたった。ジロ・デ・イタリアでは4色ジャージ以外にフーガ賞、アッズーラディターリア賞(ゴール上位3人にポイント)、コンヴァティヴィータ賞(敢闘賞、スプリント・山岳・ゴールにつけられたポイント合計)等々のバラエティー豊かなミニ賞が存在している。受賞者はゴール後の表彰式ではなく、翌日のスタート前に小さな授与式が執り行われる。そこでは綺麗なお姉さんから大会マスコットのぬいぐるみと……、もちろん祝福のキスがもらえるはず!

日本のファンが喜びと悔しさの入り混じった複雑な気持ちを抱いた一方で、フランス人は手放しで喜びを爆発させることができた。第3ステージにも逃げにトライしていたピノーにとって2004年以来となる6年ぶりの勝利(グランツールは初勝利)であると同時に、フランス人にとっては2005年以来実に5年ぶりとなるジロ区間勝利だったのだから。また春クラシックで散々な結果しか出せなかったクイックステップにとっては早くも今ジロ2勝目。ところでファウスト・コッピの没後50年を記念してコッピの生誕地を通過し、コッピの山「パッソ・コッピ(コッピ峠)」を上り、コッピの偉業をたたえるカンピオニッシモ博物館のある町へとゴールしたステージでピノーが優勝したことに、本人や関係者たちは少々因縁めいたものを感じているようだ。「山頂でパッソ・コッピの横断幕を見たときに、これは勝利のサインに違いないと思った」とピノーも語っている。実はピノーの誕生日は1980年1月2日、そしてコッピの命日は1960年1月2日。コッピが亡くなった20年後に生まれたピノーが、50年記念ステージを制したのだ。

表彰式にはコッピの娘マリーノさんと息子ファウスティーノさんが立会い、ヴィンチェンツォ・ニバリに記念マリア・ローザを手渡した。大会5日目にして、ようやく、2日連続で同じ選手がマリア・ローザに袖を通した。


■ジェローム・ピノー
ステージ優勝

最後の5kmは、監督のブラマーティから何度も叫ばれた。諦めるな、信じるんだ、と。これまで長い間勝てずに苦しい時を過ごしてきたけれど、こうして人生最高の勝利を上げることができた。しかもクイックステップにとってはわずか5日間で2勝目。本当に素晴らしいね。ジロの出場を決めたのはつい3週間前。今年はクラシックで本当にいい走りが出来なかったから、チームにジロ出場を頼み込んだ。ジロで自信を取り戻せるんじゃないかって。だから積極的にトライしていったんだ。

ディディエ・ルスがいつもボクに言っていたものさ。「エスケープが正しかったかどうかなんて、ゴールまで行ってみないと分からない」って。この成功は20分の1、いや、30分の1の確率で起こったこと。でも単に幸運な成功だったわけじゃない。最終盤のボクらは時速60km近く出して走った。これなんだ。130kmの逃げのあとに、これが出来なきゃならないんだ。不思議なことに、ゴール前1500mのパネルを見たときに、自信を感じたんだ。自分が勝てると分かったんだ。今回のボクは焦って取り乱したりしなかった。脚もしっかり応えてくれた。

若いころ、ボクは自転車競技なんて簡単なものだと思い込んでしまった。クラシックで表彰台にも上がっていたし、UCIランキングでフランス人1位にもなった。そこで思い上がってしまったんだね。だからボクには変化が必要だったし、2009年にクイックステップへ移籍した。今のチームで素晴らしい指導陣に恵まれているだけでなく、彼らはボクの士気を上手に高めてくれるんだ。

photo

宮本 あさか
みやもとあさか。パリ在住のスポーツライター・翻訳者。相撲、プロレス、サッカー、テニス、フィギュアスケート、アルペンスキーなど幼いときからのスポーツ好きが高じ、現在は自転車ロードレースの取材を中心に行っている。