毎度のことだが、ワールドカップのメンバー発表となると、どうしてこんなにメディアが騒ぎ出すのだろうか。私は日本代表の試合が行われる毎にメンバー発表会見に行っているが、普段は閑散としたものだ。先月のセルビア戦(大阪・長居)の時もJFAハウスの会議室に集まった報道陣は50人もいなかった。それが今回は500人である。10日の会見場にはテレビカメラが4台設置され、4つの放送局が岡田武史監督の会見を生中継した。「ワールドカップは人を変える」と強豪国の監督たちも言っているそうだが、この日だけは特別なのである。

凄まじいフラッシュを浴びながら登壇した指揮官は23人の名前をやや早口で読み上げた。3人目の「川口(能活=磐田)」のところで最初のどよめきが起き、23人目の「矢野(貴章=新潟)」のところでも会場が小さくざわついた。

矢野については正直、非常に驚いた。今季Jリーグで無得点。所属の新潟も最近になってやっと調子を上げてきたが、矢野自身が目覚しい活躍をしていなかったからだ。オシムジャパン時代から巻誠一郎(千葉)とともに前線でターゲットになれる選手として重用されてきた。が、岡田ジャパン発足後は召集回数が減り、2008年は5試合、2009年は4試合に途中出場しただけ。4月のセルビア戦も玉田圭司(名古屋)に代わって8分間ピッチに立ったのみだった。

そんな状況だから、同じ長身タイプなら前田遼一(磐田)か平山相太(FC東京)の方が有利ではないかと思われた。けれども、岡田監督は矢野の使い方を「逃げ切り要員」と位置づけているようだ。「ドローで行っているときに、セットプレーの守備、前線での追い回し、またはカウンターアタックでの飛び出しが期待できる。フィジカル、スピード、運動量というものを期待して選んだ」というコメントにそれが象徴されている。前田なら点取屋、平山ならパワープレー要員と違う役割になってしまう。そういう選手はいらないという判断だったのだろう。

指揮官がイメージするのは、昨年9月のオランダ戦(エンスヘーデ)ではないか。日本は65〜70分間は高い位置からプレスをかけ続けていた。が、終盤に運動量がガタ落ちし、3点を叩き込まれた。あの時と同じ轍を踏まないために、矢野のように走れてスピードがあり高さもある選手がほしいと考えた。そんな展開が現実になればいいのだが…。矢野の抜擢が的中するか否かは本番で分かる。

一方の川口については、私は以前から南アに連れて行くべきだと考えていた。過去の大会を見ても、98年フランス大会は小島伸幸(現解説者)、2006年ドイツ大会は土肥洋一(東京V)と第3GKにはベテランが選ばれている。第3の守護神はよほどのことがない限り出番がない。より強靭なメンタルを備え、チームを力強く鼓舞できる人物でなければ、この役割はこなせない。第3GKの有力候補だった西川周作(広島)も能力的には高いが、人がよすぎる一面がある。強引に何かをやるタイプではないのが物足りないところだった。加えて、現在の岡田ジャパンは絶対的なリーダーシップを持つ選手がいない。現在のキャプテン・中澤佑二(横浜)も攻撃の軸をなす中村俊輔(横浜)、遠藤保仁(G大阪)も少しタイプが異なる。彼らをサポートしながら、チームを統率できるベテランが、南ア大会を戦う上で、どうしても必要だと思ったからだ。

ドイツ大会を振り返っても、年長者だった中田英寿、宮本恒靖(神戸)や福西崇史(現解説者)を後ろから支えるベテランが不在だった。アジア予選の時には藤田俊哉(熊本)や三浦淳宏(横浜FC)らがいて、彼らのよき指南役になっていた。2005年6月のドイツワールドカップ最終予選の天王山・バーレーン戦(マナマ)直前合宿地のアブダビでも、選手全員の士気を高めるミーティング(『アブダビの夜』と名づけられた話し合い)を三浦が発起人となって開いた。「『オレはワールドカップに行きたいんだ』とアツさんが熱っぽく語ったのを聞いて、僕だけじゃなくて、みんな心を動かされました」と福西も証言していた。

98年フランスから3回のワールドカップを経験し、イングランドやデンマーク時代には試合に出られない屈辱に耐えてきた川口ならば、同じような役回りも可能だろう。実際、中澤も「能活さんが選ばれて、自分の中ですごく盛り上がった」と喜んだし、俊輔も「能活さんは師匠。プレーヤーとしても人としてもワールドカップに必要」と歓迎していた。彼らの精神的負担は確実に軽くなるはずだ。岡田監督は「第3GK」と断言するかのような発言を繰り返していたが、パフォーマンスが上がってくれば、楢崎、川島とスタメンを争うことも十分あり得る。彼は大舞台になればなるほど神がかり的な力を発揮する。それも苦境に陥る岡田ジャパンには大きなプラスだ。今回の指揮官のサプライズ選出は「英断」だったといえる。

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元川 悦子
もとかわえつこ1967年、長野県生まれ。夕刊紙記者などを経て、94年からフリーのサッカーライターに。Jリーグ、日本代表から海外まで幅広くフォロー。ワールドカップは94年アメリカ大会から4回連続で現地取材した。中村俊輔らシドニー世代も10年以上見続けている。そして最近は「日本代表ウォッチャー」として練習から試合まで欠かさず取材している。著書に「U-22」(小学館)「初めてでも楽しめる欧州サッカーの旅」(NHK出版)ほか。