滞在中のチューリヒで旧市街の中心にあるフラウキルヒ(聖母教会)のあたりを散策していたら、路地のような細い道を曲がったところで見慣れたロゴマークが目に入った。グラスホッパー・チューリヒのロゴだ。下がバーになっている建物の2階がグラスホッパーの事務所になっているようで、壁からは、リアルな緑色のバッタの模型が看板として掲げられている。

グラスホッパーというのは、1886年創設という歴史のあるチューリヒの名門チーム。創設者はイングランドの学生だったという。バッタという意味の英語「グラスホッパー」というユニークなネーミングで、知られているが、現在はスイス2部に所属している。メインのオフィスは別のところにあるはずなのだが、ここは古いオフィスなのだろう。滞在中に一度行ってみなければいけないと思っていたのが、偶然、ここでグラスホッパーに出会うとは、びっくりである。

僕が、なぜグラスホッパーのオフィスに行こうと思っていたのかというと、1936年の8月19日に日本代表がグラスホッパーと試合をしたときのことを調べたかったのだ。1936年、つまりベルリン・オリンピックの年である。

オリンピックに参加した日本代表チームは、ベルリン到着後、ベルリンのクラブチームと3試合戦って3戦3敗だったものの、この3試合で当時ヨーロッパで流行り始めていた3バックを体得し、それがベルリン・オリンピックでのスウェーデン戦での勝利につながった。1925年にオフサイド・ルールが改正された。それまでは、守備側の最後尾から3人目の選手がオフサイドラインとなっていたのが、2人目(つまり、ふつうはGKを除いて最後のDF)がオフサイドラインとなったのだ。今のルールと同じだ。それまでは、オフサイドラインの後ろをもう1人のDFがカバーできたし、カバーがいるので思い切ったオフサイドとラップがかけられたので、DFは2人のツーバックシステムが主流だったのだが、オフサイド・ルールの改正によってDF2人では守りきれなくなり、そこで3バックというシステムが発明されたのだった。

とにかく、日本チームは3バックを身に付けることができ、これがスウェーデン戦の勝利につながったと言われている。

1回戦でスウェーデンに勝った日本は、2回戦ではワールドカップチャンピオンだったイタリアに8-0の大差で敗れる。オリンピックを終えた日本代表チームはその後、ドイツやスイスを回ってから帰国の途に就くことになるのだ(行きはシベリア鉄道だったが、帰りは客船でスエズ運河、インド洋を通って帰国した)が、ドイツではニーダーラインガウ選抜というチームと対戦して2-6で敗れた。この試合については相手チームのメンバーも得点経過も判明している。

だが、その後のスイスでのグラスホッパー戦については、1-16という結果以外には何も分かっていないのだ。1-16というスコアも不思議である。スウェーデン代表に逆転勝ちし、イタリア戦以外の試合では大敗はしていないのに、どうしてこの試合だけは16点も取られたのか?また、日本チームの唯一のゴールはコーチだった竹腰重丸の得点という説もあるが、それは本当なのか?長く日本代表選手だった竹腰(東京帝大=今の東京大学=出身)は、すでに引退しており、このときはコーチとしてチームに帯同していた(監督は早稲田大学の鈴木重義)。竹腰は、その後日本代表監督、日本蹴球協会理事長、国際審判員などを歴任し、「技術の神様」と言われることになる人物だ。竹腰は、ベルリン・オリンピックでも代表に復帰したかったのだとも言われているから、グラスホッパー戦に出場していても不思議はない。

その辺を、調べてみたい。そのために、チューリヒ滞在中にぜひグラスホッパーのクラブに行って、当時の資料を見せてもらおうと、僕は思っていたのだ。

さて、フラウキルヒのそばでオフィスを見つけたが、そこで僕は意外なことを知った。グラスホッパーの昔のオフィスが、1960年代に火災に遭って、古い資料はすべて失われてしまったというのである。しかも、その後グラスホッパーは破産してしまい、今は新しい組織となっている。というわけで、せっかくの偶然も役に立たなかったのである。残る手段は、チューリヒの図書館か新聞社に行って、当時の新聞を見せてもらうしかないのだが(日本の図書館には、当時のチューリヒの新聞は所蔵されていない)、残念ながら大会取材中の身では図書館に行く時間がなく、調査は断念せざるをえなかったのだ。またの機会を待ちたい……。

第2次世界大戦後、1960年と1964年にヨーロッパに遠征した日本代表はやはりグラスホッパーと対戦している。1960年は1-4の完敗だったのに、1964年9月の試合では4-0と快勝。これで自信をつけて、日本代表は10月の東京オリンピックに臨んだのだった。このような関係があった日本とスイスのサッカーだったが、その後は中田浩二のバーゼル移籍までほとんど接点がなくなってしまった。世界のサッカーの中では同じ中堅国の一つで、昨年の対戦でも好試合が見られたのだ。これからも交流を考えてもいいのかもしれない。

【お知らせ】 後藤健生氏、日本サッカーの歴史を振り返る大作2冊。 「日本サッカー史―日本代表の90年」 「日本サッカー史 資料編―日本代表の90年」 ※詳しくはこちらから

photo

後藤 健生
1952年東京生まれ。慶應義塾大学大学院博士課程修了(国際政治)。64年の東京五輪以来、サッカー観戦を続け、「テレビでCLを見るよりも、大学リーグ生観戦」をモットーに観戦試合数は3700を超えた(もちろん、CL生観戦が第一希望だが!)。74年西ドイツ大会以来、ワールドカップはすべて現地観戦。2007年より関西大学客員教授