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HISTORY 歴史・ルール

ツール”節目”年表

1903 ツール・ド・フランス開始
最終ゴール地は、2ヶ所に設けられた。最初のゴールはヴィルダヴレ。そのままのタイムを保ちつつ、選手はパルク・デ・プランスの競技場へ移動し、見世物として再びゴールした
1906 パルク・デ・プランスが正式な最終ゴールとされ、以降1967年までこの地がゴールとなった
フラムルージュ(ラスト1kmを示す、コース上に渡されたアーチ型の指標)設置開始
1910 ピレネー初登場
1911 アルプスが本格的に登場
1913 1905年以来導入されたポイントによる総合順位決定が廃止となり、時間の総計による順位づけ復活
初めて時計と逆回りに
1915-18 第一次世界大戦による中断
1919 マイヨ・ジョーヌの授与開始(ただし途中の第10ステージから)
1923 自転車の交換が許可される
1926 ツール始まって以来の最長総距離:5,745km、
初めてパリ以外の街(エヴィアン)でグランデパール(初日スタート)。翌年からは再びパリに戻る
1927 チームごとのタイムトライアル(チームタイムトライアル=TTT)が初採用
1930 キャラバン隊登場(1925年から、広告車は散見されていたが、ツールの企画としてではなかった)
ツール、初のラジオ生中継
1933 山岳賞が設定される(ただし、山岳ジャージの登場は、1975年)
1934 個人タイムトライアル(ITT)開始
1936 フランスでバカンス法が制定され、ツールの追い風となる
1937 変速機の使用が一般化
1940-46 第二次世界大戦による中断
1947 戦後初のツール、他国へ初進出(ブリュッセル、ルクセンブルク)
1949 峠の3つのカテゴリー制開始
1951 1926年を除きパリに固定していたグランデパールが、以降パリ以外の街となる
1953 第50回大会を記念して、ポイント賞制度とポイントジャージ(マイヨ・ヴェール)が設定される
1954 初めて国外でのグランデパール(アムステルダム)
1958 山岳TT初登場(モンヴァントゥー)
1960 列車移動初登場
1961 山頂ゴール初登場(シュルペルバニエール)
1962 ナショナルチーム制から、スポンサーのついたプロチーム制へ
1967-1968 ナショナルチーム復活
1968 プロローグ初登場、
最終ゴール地がパルク・デ・プランスからヴァンセンヌへ
1971 飛行機による移動初登場
1973 ルイス・オカニャが初めてチタンのバイクを使用。以降使用が広がる
1974 海上輸送による移動初登場
1975 最終ゴール地がヴァンセンヌからシャンゼリゼへ
山岳ジャージ初披露。新人賞ポイントとマイヨ・ブランが登場
ヴァン・インプが、初めてカーボンフレームを使用
1988 スタート地点のヴィラージュ(招待客、関係者など、パス持参者限定の交流の場所)初設置
1989-99 新人賞ポイントは保持されつつ、マイヨ・ブランは一時的に廃止
1989 参戦チーム選出手法確立
仏革命200周年記念で賞金17,890フラン、1,789km地点に賞金ポイント設置。(ルション・ブラニャックのステージ)
1992 欧州共同体の導入の礎となったマーストリヒト条約締結。これを記念し国際的なルートに:スペイン、フランス、ベルギー、オランダ、ドイツ、ルクセンブルク、イタリアの7か国を踏破
電動変速機使用開始
1994 英仏海峡トンネル開通を記念し、カレーからユーロトンネルまでのチームタイムトライアルが開催
2003 100年記念大会
2013 第100回記念大会
2016 史上初、カトリック巡礼の地「モン・サン・ミシェル」がグランデパールに決定

作成:Nano



ツールのルール

ステージ優勝

全21ステージ中、個人タイムトライアルを除く19の通常ステージでは、先頭でフィニッシュラインを通過した選手がステージ優勝を手にする。

個人タイムトライアルでは、参加選手の中で最も速いフィニッシュタイムを記録した選手が優勝を手にする。同タイムが計測された場合は、1/100秒単位までタイムを比較する。

総合タイム首位/マイヨ・ジョーヌ

ルール

各ステージ終了後、ツール初日からの累積タイムが最も少ない選手が、総合首位として表彰を受ける。また全21ステージを通して最も少ない総合累積タイムをたたき出した選手こそが、ツール・ド・フランス総合優勝に輝く。そしてこの総合リーダーに授与されるのがマイヨ・ジョーヌ、つまり黄色いジャージだ。

累計タイムが同じ場合、個人タイムトライアルの1/100秒単位のタイムを加えて比較し、タイムの少ない選手が総合上位に立つ。それでもタイムが同じ場合、全区間の順位累計の少ない選手が上位に立つ。それでも順位が決しない場合、最後に行われた区間で上位に立った選手が、総合でも上位に立つ。

歴史

集団内を走る総合リーダーを一目で見分けるために マイヨ・ジョーヌは誕生した。初めて観衆の前に披露されたのは、1919年の第11ステージスタート時。黄色が選ばれたのは、当時のツール主催元「ロト紙」の新聞紙の色が黄色だったから。かなり突発的なアイディアだったが、今日では王者の証として定着している。ジャージスポンサーはLCL銀行。

ポイント賞/マイヨ・ヴェール

ルール

キング・オブ・スプリンターを決める賞。各ステージ途中に1箇所設けられる中間スプリントポイントと、フィニッシュラインの通過順に配分されるポイントを、最も多く獲得した選手に与えられる。そしてこのポイント賞リーダーに授与されるのが、マイヨ・ヴェール=緑ジャージだ。

  ポイント
中間スプリントポイント
(上位15人)
20、17、15、13、11、10、9、8、7、6、5、4、3、2、1
フィニッシュラインポイント
(上位15人)
ポイント
難易度1ステージ(平坦) 50、30、20、18、16、14、12、10、8、7、6、5、4、3、2
難易度2・3ステージ(起伏) 30、25、22、19、17、15、13、11、9、7、6、5、4、3、2
難易度4・5ステージ(難関山岳) 20、17、15、13、11、10、9、8、7、6、5、4、3、2、1
難易度6ステージ(個人タイムトライアル) 20、17、15、13、11、10、9、8、7、6、5、4、3、2、1

ポイント総計が同点の場合、以下の優先順位で首位選手が決定される。
1.ステージ優勝の数
2.中間スプリントポイント首位通過の数
3.総合タイム

※レース審判の裁定によりタイムアウト救済措置が行われた場合、この措置で救われた全ての選手は、同日の区間首位に与えられるゴールポイントに等しいポイントを減点される(例えば難易度1ステージならマイナス50pt)。このとき累積ポイントがマイナスになる場合もありうる。

歴史

このジャージが作られたのは、ツール生誕50周年記念の1953年。百貨店ベル・ジャルディニエールがスポンサーに就任し、同時に緑色のジャージが採用された。2015年以降、チェコ自動車メーカーのスコーダがジャージスポンサーを務める。

山岳賞/マイヨ・ア・ポワ・ルージュ

ルール

山岳王を決定する賞。各峠の頂上に設定された山岳ポイントの合計で争われる。そしてこの山岳賞リーダーに授与されるのがマイヨ・ブラン・ア・ポワ・ルージュ=白地に赤玉ジャージだ。

ポイント
超級(10人) 25、20、16、14、12、10、8、6、4、2
1級(6人) 10、8、6、4、2、1
2級(4人) 5、3、2、1
3級(2人) 2、1
4級(1人) 1

※第18ステージの最終峠はポイントが2倍となる。

ポイント総計が同点の場合、以下の優先順位で首位選手が決定される。
1.超級峠をトップ通過した数
2.1級峠をトップ通過した数
3.2級峠をトップ通過した数
4.3級峠をトップ通過した数
5.4級峠をトップ通過した数
6.総合タイム
歴史

山岳賞自体は1933年から存在していたが、お馴染みのかわいい赤玉ジャージが誕生したのは1975年。当時のスポンサーであった製菓会社ショコラ・プーランが、自社のキャンディパッケージをモデルに、デザインを考案した。2009年からは大型スーパーマーケットチェーンのカルフールが、ジャージスポンサーを務めている。

新人賞/マイヨ・ブラン

ルール

1992年1月1日以降に生まれた選手の中から、個人総合タイムトップの選手に与えられる。制限年齢以下なら何度でも受賞できるため、「新人賞」というよりは「最優秀若手賞」の意味合いが強い。そしてこの新人賞リーダーに授与されるのがマイヨ・ブラン=白ジャージだ。

歴史

新人賞が誕生したのは1975年。色の由来は「汚れない若さの色」という説と、「色とりどりのチームジャージが氾濫する中、あえて無色」という説がある。スポンサーは眼鏡店チェーンのクリス。

チーム総合順位

ルール

各チームの各ステージ上位3選手のタイム合計で、チーム順位が決定される。総合首位のチームに所属する全選手に、黄色地に黒い数字が書かれたゼッケンが贈られる。2014年大会よりスポンサーは種苗会社RAGT。

チーム総合順位を決める際、同タイムが複数チームある場合は、以下の条件で順位を決定する。
1.チーム所属選手のステージ優勝数
2.チーム所属選手のステージ2位数(以下、3位、4位、5位と続く)
3.チーム所属選手の総合順位

またチーム内の出走選手が2人以下となった場合は、チーム総合順位から除外される。

敢闘賞/プリ・ド・ラ・コンバティヴィテ

ルール

個人タイムトライアルと最終ステージを除く各ステージで、成績には関係なく、最も勇敢な走りを見せてくれた選手に与えられる。大会関係者・ジャーナリスト・元選手で構成される審判団が投票と話し合いで決定する主観的な賞である。

審査基準は以下の6点。
1.闘志
2.毅然さ
3.努力を惜しまない姿勢
4.勇気
5.オーラ
6.チームへの奉仕精神

他の賞と違ってポイント総計制・タイム制ではなく、各ステージごとに新たな受賞者が誕生する仕組み。そしてこの敢闘賞受賞者に授与されるのがドサール・ルージュ=赤ゼッケンだ。このゼッケンをつけて出走できるのは、受賞日の翌ステージのみ。

またツール全期間を通して最も奮闘した選手は、スーパー敢闘賞として、シャンゼリゼで表彰を受ける。2017年はTwitterでのファン投票でも、スーパー敢闘賞候補が2人選ばれる。投票は7月10日、17日の2回の休息日に実施される。

歴史

敢闘賞が誕生したのは1952年、スーパー敢闘賞が誕生したのは2003年。長年赤ゼッケンでおなじみだったこの賞も、2004年だけはスポンサーの関係で青ゼッケンと変わったが、翌2005年から「赤地に白抜きの数字」ゼッケンが再び採用された。2014年大会よりスポンサーはプロパンガス・天然ガス配給会社アンタルガス。

ジャージの優先順位

同一選手が複数のジャージを獲得した場合、以下の優先順位で着用する。

1.マイヨ・ジョーヌ
2.マイヨ・ヴェール
3.マイヨ・ア・ポワ・ルージュ
4.マイヨ・ブラン

各賞首位選手によって着用されなかったジャージは、2位の選手が着用する(2位選手が着用できない場合は3位選手へ繰越)。ただし2位以下の選手が世界チャンピオンジャージ、もしくは国内チャンピオンジャージの保持者である場合は、チャンピオンジャージの着用が許される。

ボーナスタイム

個人タイムトライアルを除く全ステージのフィニッシュラインを上位通過した3名に、それぞれ10秒、6秒、4秒のボーナスタイムが与えられる。

制限タイム

通常ステージでは、ステージ難易度と当日のステージ首位選手の平均走行速度によって、各ステージの制限タイム基準が決定される。個人タイムトライアルは首位選手のタイムから25%と一定基準が設けられた。制限タイム内にゴールできなかった選手は、通常タイムアウト失格となる。たとえば平坦ステージでは、首位選手の平均走行時速が36km以下の場合は勝者のフィニッシュタイムから3%、時速48劼ら50劼両豺腓10%が、足切りの基準となる。

ただし悪天候、道路の状態、レース中に発生した事故や負傷者数など、状況によって審判団は制限時間を変更することができる。また制限時間から遅れてゴールした選手も、走行平均速度や、事故の有無・発生場所などの状況次第で、審判団から救済措置を与えられる場合がある。

フィニッシュルール

集団でフィニッシュした選手全員に、集団の先頭選手と同タイムが与えられる。集団が分断し、2集団の間隔が1秒以上開いていた場合(前方集団最後尾選手の後輪の後端と、後方集団先頭選手の前輪の先端の差)は、後方集団には新たなタイムが与えられる。

2017年ツールから集団スプリントフィニッシュで終わるであろうレース/ステージに限って、2集団の間隔が3秒以内であれば、同一集団と認められる。つまり今大会では第2、6、7、10、16、19、21ステージで新方式が適応される。

ステージ順位は実際にフィニッシュラインを通過した順番で付けられる。違反行為などで降格処分を受けた場合は、フィニッシュ時に属していた集団の最下位の順位が与えられる。

フィニッシュまで3km以内の地点で落車・パンク・メカトラブルなどの犠牲になった選手(巻き添えになった選手も含む)は、事故発生時に属していた集団と同じタイムが与えられる。ステージ順位はフィニッシュラインを実際に通過した順位が与えられる。歩いてライン通過、または負傷などでラインを超えられなかった場合でも、区間完走とみなされてステージ最下位の順位が与えられる。ただし個人タイムトライアル(第1・20ステージ)、上りフィニッシュステージ(第3、5、12、14、18ステージ)に限ってはこの3kmルールは適応されない。

最終21ステージのシャンゼリゼ周回コースが、突入前に雨などのために滑りやすくなっていた場合、最初のゴールライン通過でゴールタイムが決定される。また周回中に雨などのために滑りやすくなった場合、次回のゴールライン通過でゴールタイムが決定される。ただしゴールタイム計測後も、最後まで周回を継続し、ゴール順位を決定する。

ステージ難易度

ゴールポイントや制限タイム設定のため、各ステージには難易度が設けられている。難易度の種類は6つ。

難易度 ステージ
難易度1 (特に難所が存在しないステージ)
第2、4、6、7、10、11、19、21ステージ
難易度2 (起伏のあるステージ)
第3、5、14、16ステージ
難易度3 (起伏の非常に多いステージ)
第7、15ステージ
難易度4 (難関山岳ステージ)
第9、12、17、18ステージ
難易度5 (距離の短い難関山岳ステージ)
第13ステージ
難易度6 (個人タイムトライアル)
第1、20ステージ

タイムトライアル

第1ステージ 個人タイムトライアル
開幕前夜のチーム監督会議で決定された順番で、1人ずつスタートを切る。スタート間隔は1分。ゴールタイムは1/100秒まで計測され、ステージ順位が決定される。

第20ステージ 個人タイムトライアル
前日までの総合順位の最下位選手から、降順で1人ずつスタートを切る。総合首位選手は最終走者となる。スタート間隔は1分。最終の20選手に限っては、2分間隔が与えられる。ゴールタイムは1/100秒まで計測され、ステージ順位が決定される。

歴代チャンピオン

  • 第1回 1903年 Maurice GARIN (FRA)
  • 第2回 1904年 Henri CORNET (FRA)
  • 第3回 1905年 Louis TROUSSELIER (FRA)
  • 第4回 1906年 Rene POTTIER (FRA)
  • 第5回 1907年 Lucien MAZAN dit PETIT-BRETON (FRA)
  • 第6回 1908年 Lucien MAZAN dit PETIT-BRETON (FRA)
  • 第7回 1909年 Francois FABER (LUX)
  • 第8回 1910年 Octave LAPIZE (FRA)
  • 第9回 1911年 Gustave GARRIGOU (FRA)
  • 第10回 1912年 Odile DEFRAYE (BEL)
  • 第11回 1913年 Philippe THYS (BEL)
  • 第12回 1914年 Philippe THYS (BEL)
  • <第一次世界大戦のため中止>
    1914年8月、フランスが第1世界大戦に参戦
    1915年
    1916年
    1917年
    1918年11月11日、第1次世界大戦終結
  • 第13回 1919年 Firmin LAMBOT (BEL)
  • 第14回 1920年 Philippe THYS (BEL)
  • 第15回 1921年 Leon SCIEUR (BEL)
  • 第16回 1922年 Firmin LAMBOT (BEL)
  • 第17回 1923年 Henri PELISSIER (FRA)
  • 第18回 1924年 Ottavio BOTTECCHIA (ITA)
  • 第19回 1925年 Ottavio BOTTECCHIA (ITA)
  • 第20回 1926年 Lucien BUYSSE (BEL)
  • 第21回 1927年 Nicolas FRANTZ (LUX)
  • 第22回 1928年 Nicolas FRANTZ (LUX)
  • 第23回 1929年 Maurice DE WAELE (BEL)
  • 第24回 1930年 Andre LEDUCQ (FRA)
  • 第25回 1931年 Antonin MAGNE (FRA)
  • 第26回 1932年 Andre LEDUCQ (FRA)
  • 第27回 1933年 Georges SPEICHER (FRA)
  • 第28回 1934年 Antonin MAGNE (FRA)
  • 第29回 1935年 Romain MAES (BEL)
  • 第30回 1936年 Sylvere MAES (BEL)
  • 第31回 1937年 Roger LAPEBIE (FRA)
  • 第32回 1938年 Gino BARTALI (ITA)
  • 第33回 1939年 Sylvere MAES (BEL)
  • <第二次世界大戦のため中止>
    1940年 ドイツ軍がフランスを占領
    1941年
    1942年
    1943年
    1944年8月、パリ解放。
    1945年
    1946年 その後徐々にフランス全土が解放され、1947年に大会が再開。
  • 第34回 1947年 Jean ROBIC (FRA)
  • 第35回 1948年 Gino BARTALI (ITA)
  • 第36回 1949年 Fausto COPPI (ITA)
  • 第37回 1950年 Ferdi KUBLER (SUI)
  • 第38回 1951年 Hugo KOBLET (SUI)
  • 第39回 1952年 Fausto COPPI (ITA)
  • 第40回 1953年 Louis ''Louison'' BOBET (FRA)
  • 第41回 1954年 Louis ''Louison'' BOBET (FRA)
  • 第42回 1955年 Louis ''Louison'' BOBET (FRA)
  • 第43回 1956年 Roger WALKOWIAK (FRA)
  • 第44回 1957年 Jacques ANQUETIL (FRA)
  • 第45回 1958年 Charly GAUL (LUX)
  • 第46回 1959年 Federico BAHAMONTES (ESP)
  • 第47回 1960年 Gastone NENCINI (ITA)
  • 第48回 1961年 Jacques ANQUETIL (FRA)
  • 第49回 1962年 Jacques ANQUETIL (FRA)
  • 第50回 1963年 Jacques ANQUETIL (FRA)
  • 第51回 1964年 Jacques ANQUETIL (FRA)
  • 第52回 1965年 Felice GIMONDI (ITA)
  • 第53回 1966年 Lucien AIMAR (FRA)
  • 第54回 1967年 Roger PINGEON (FRA)
  • 第55回 1968年 Jan JANSSEN (NED)
  • 第56回 1969年 Eddy MERCKX (BEL)
  • 第57回 1970年 Eddy MERCKX (BEL)
  • 第58回 1971年 Eddy MERCKX (BEL)
  • 第59回 1972年 Eddy MERCKX (BEL)
  • 第60回 1973年 Luis OCANA (ESP)
  • 第61回 1974年 Eddy MERCKX (BEL)
  • 第62回 1975年 Bernard THEVENET (FRA)
  • 第63回 1976年 Lucien VAN IMPE (BEL)
  • 第64回 1977年 Bernard THEVENET (FRA)
  • 第65回 1978年 Bernard HINAULT (FRA)
  • 第66回 1979年 Bernard HINAULT (FRA)
  • 第67回 1980年 Joop ZOETEMELK (NED)
  • 第68回 1981年 Bernard HINAULT (FRA)
  • 第69回 1982年 Bernard HINAULT (FRA)
  • 第70回 1983年 Laurent FIGNON (FRA)
  • 第71回 1984年 Laurent FIGNON (FRA)
  • 第72回 1985年 Bernard HINAULT (FRA)
  • 第73回 1986年 Greg LEMOND (USA)
  • 第74回 1987年 Stephen ROCHE (IRL)
  • 第75回 1988年 Pedro DELGADO (ESP)
  • 第76回 1989年 Greg LEMOND (USA)
  • 第77回 1990年 Greg LEMOND (USA)
  • 第78回 1991年 Miguel INDURAIN (ESP)
  • 第79回 1992年 Miguel INDURAIN (ESP)
  • 第80回 1993年 Miguel INDURAIN (ESP)
  • 第81回 1994年 Miguel INDURAIN (ESP)
  • 第82回 1995年 Miguel INDURAIN (ESP)
  • 第83回 1996年 Bjarne RIIS (DEN)
  • 第84回 1997年 Jan ULLRICH (GER)
  • 第85回 1998年 Marco PANTANI (ITA)
  • 第86回 1999年 ー
  • 第87回 2000年 ー
  • 第88回 2001年 ー
  • 第89回 2002年 ー
  • 第90回 2003年 ー
  • 第91回 2004年 ー
  • 第92回 2005年 ー
  • 第93回 2006年 Oscar PEREIRO SIO (ESP)
  • 第94回 2007年 Alberto CONTADOR VELASCO (ESP)
  • 第95回 2008年 Carlos SASTRE (ESP)
  • 第96回 2009年 Alberto CONTADOR VELASCO (ESP)
  • 第97回 2010年 Andy SCHLECK (LUX)
  • 第98回 2011年 Cadel EVANS (AUS)
  • 第99回 2012年 Bradley WIGGINS (GBR)
  • 第100回 2013年 Chris FROOME (GBR)
  • 第101回 2014年 Vincenzo NIBALI (ITA)
  • 第102回 2015年 Chris FROOME (GBR)
  • 第103回 2016年 Chris FROOME (GBR)

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