今年も6月17〜18日に決勝レースが行われるル・マン24時間耐久レース。今大会で85回を重ねる長い歴史の中で繰り返されたテクノロジーの進化と挑戦の日々が再び激突する。栄冠を手にするのは果たしてどのチームか。ル・マンを知る12人の男達がその深淵な戦いの歴史と魅力を紡ぐ。#03は1995年大会に日産GT-R LMで総合10位という殊勲を遂げた近藤真彦が語る(後編)。

ARCHIVE
きっかけは「スティーヴ・マックィーン」/関谷正徳(前編)
マクラーレンで走ったワケ/関谷正徳(後編)
初参戦のオーディション/荒聖治(前編)
総合優勝のポイントとは/荒聖治(後編)
「朝日に相当感動して、涙が出そうなくらいだった」/近藤真彦(前編)
「戦いに行く、それが僕にとってのル・マン」/近藤真彦(後編)

「来年は止める、もういい」って思うんです(笑)

——2000年に自らチームを設立、2002年にはル・マンへのチーム参戦を果たしました。
近藤:いつかは自分のチームでル・マンへ、という思いがあったんです。無謀ですよね(笑)。でもチーム設立当初から、頭の中にはあったんです。やっぱり行かなきゃ!って。3年行きました。でもね、ル・マンは参戦枠を確保すること自体が難しいんです。ACO(フランス西部自動車クラブ・ル・マン24時間レースの主催者)と話をしたんですが、それと並行して日本でのスポンサー活動もしていました。行くための資金、そして参戦車両の調達…。でもまだル・マンに行けるかどうかはわからないんです。そういう状況でスポンサー獲得の営業をしなきゃいけない。ル・マンに出られたら、スポンサーしてください、ってバカバカしい話に、どこの企業がOK出してくれるっていうんですか(笑)。 僕らはいちチームであり、メーカーじゃないから枠を取るのが本当に大変で。色んなルートからACOにアプローチしましたよ。それこそ、日本のロックシンガーが関係しているレーシングチームというのを武器にしなさい、とも助言されました。なりふりかまわずの状態でした。日本でも話題になるから、とか、チームオーナー(近藤自身)は、過去に日産からル・マンに出ているとか、ポジティブなことばかりを書いて、ガンガンACOに送ってましたよ。スポンサー活動もそうだったけど、ほんと、ある意味ギャンブルみたいなことをしてましたね(笑)。

——それほど、ル・マンの魅力に取り憑かれたのですか?
近藤:いやぁ、参戦が実現し、ル・マンのピットガレージにチーム名を書いた看板が上がったときはね…。日本の国旗にKONDO RACINGでしょう!? もう夢を見てるようでした。なにもかも一発勝負みたいな戦いなのに、ほんとよくやったと思います。ル・マンって、スタートしてもし5時間後に止まったら、次また1年後にしかチャンスがないんですよ。日本のシリーズ戦みたく、また数週間あとに仕返しできるチャンスが1年先にしかない。しかも、体制や資金のことを考えたら、1年後に参戦できているのかもわからない。負けたら下を向いて日本に帰るしかないんですよ。これがもうすっごく悔しくてね…。でもまたすぐチャレンジしたくなる。そういう魅力があるんです。

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