W杯2002
日韓大会は自分の中で最も印象に残るW杯。ほぼ1か月韓国滞在、カムサハムニダの毎日でした。
原博実さんにはお世話になりました。

『Foot!』で月曜から金曜までそれぞれMCを担当している5人のアナウンサーに、これまでの半生を振り返ってもらいつつ、どういう想いで今の仕事と向き合っているかを語っていただいています。
五者五様の“オリジナルな生き方”を感じて戴ければ幸いです。


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Q:1988年にラジオ福島を退社されていると思うんですけど、ここまでのお話を伺っていてもラジオ福島ではご自身の手応えのあるお仕事をされていた訳ですよね。

A: 3年目か4年目ぐらいには手応えがありましたね。だから、その中で芽生えたのは「30歳を前に勝負したいな」という気持ちでした。自分でもう1回チャレンジするなら、人生で何回か転換期があるとしたら、「30歳はポイントだな」と思っていたので、29歳で区切りを付けたかったんです。1988年というのはまさに29歳の時期で、「ここで辞めるのがいいのかな」と思って、番組のスポンサーや会社の上司と相談をして、「そこかな」というのがありました。

Q:当然引き留められますよね。

A:引き留められましたけど、ウチの会社は『ホップ、ステップ、ジャンプ』の“ステップ”に当たるような会社だという感じがあって、先輩たちもそういう道を辿っていたので、僕だけがという訳ではなかったですからね。「もうちょっとやってみたら面白いよ。君は役職を取れると思うよ」とおっしゃってくださった方もいたんですけど、僕は役職にまったく興味がなかったんです(笑)

Q:当然やりたいことがあってフリーになられたと思うんですけど、その「やりたい」と思われたのは何だったんですか?

A:僕はやっぱりスポーツを全部やりたかったんです。それまでは本格的な番組としては競馬しかできなかったので、僕が小さい頃から本当に大好きだったスポーツに触れられるものならば、「もう1回イチからやってもいいのかな」という感じはあったんですよね。でも、自分が何をしようかは何も決めてなかったんです。だから「ゼロの状態でよく辞めたな」と今から考えれば思いますよね(笑)

Q:まずは“辞める”ということが先に立っていたんですね。

A:そうです。何もない状況で辞めた時に、僕が辞めたことをどこで知ったかは定かではないんですけど、関東U局の人たちがすぐにリアクションの電話をくれたんです。お会いしたことはほとんどないんですよ。でも、誰かから聞いたのか、チバテレビであったり、当時のテレビ埼玉であったり、TVKであったり、ありがたいことに連絡を戴いて。競輪、競馬、競艇、オートという分野に関東U局が力を入れていた頃です。ただ、それ以外にも「高校野球もやってよ」「高校サッカーもやってよ」と言ってもらえて。嬉しかったなあ。それ以外にも「婦人バレーやってよ」「春高バレーやってよ」「ゲートボールどう?」「綱引きもあるよ」と山ほどいろいろな競技の名前が出てきて。おそらく地上波キー局が放送していないアマチュアスポーツを一生懸命放送していた時代だったから、僕は良い時に辞めて、良い時にお話を戴けたのかなと。それは嬉しかったですね。常にいろいろなスポーツの実況ができましたから。

Q:そうするとフリーになられてからは、すぐにスポーツ実況がメインのお仕事になっていったんですね。

A:最初に来ましたね。それ以外にも心配してくださった方がたくさんいて、ナレーションの仕事とかも戴いていましたけど、基本的には「スポーツで生きていけたらいいな」というのは芽生えてしまっていましたね。

Q:その頃はまだサッカーに特化されていた訳ではないですよね?

A:夢にも思っていない頃です。1988年の頃に「93年にJリーグができるかもよ」という噂はチラホラ入ってきていましたけど、それを目指して辞めた訳ではなかったですし、「5年後ってホントかな?」と。だって、まだワールドカップが夢のまた夢でしたから。あるいは地上波で流れる国内リーグがないんですから。ただ、1991年が僕にとっての転機で、WOWOWが開局して、“セリエ”というものに出会って、「サッカーに特化しよう」と思ったのはそこだったんですよね。でも、それだけでは食べていけないんですよ。中継は週に1回ですから。食べられないんですけど、「自分のベースはこれだ」というのを見つけたんですよね。それまでの僕は毎年来る、例えば高校野球をやり、高校サッカーをやり、季節ごとにあったスポーツの中継をやっていた中で、あの『スーパーサッカー セリエA』だけは、僕にとって格別な仕事だったんです。

Q:それはどういう所が格別だったんですか?

A:オーディションがありました。僕も何人かの候補の内の1人だったと思うんですけど、WOWOWにアナウンサーの方は3人いらっしゃった中で、「もう1人フリーランスが欲しい」ということになったらしく、「サッカーを愛してくれる人を選びたい」と。そこで選んでもらえたことが幸いでしたよね。これに関しては「本当に運が良かったな」と思いますし、感謝しているんですけど、フリーランスになって3年後でしたし、まだBSやCSの時代が来るなんて想像もしていない時代でしたから。僕はその波に乗れたという時代の巡り合わせを感じますよね。凄くラッキーでした。

Q:当時はそもそもフリーランスでアナウンサーをやっていること自体が理解されにくい時代だった訳ですよね。

A:そんな人がいなかったですからね(笑) ましてやスポーツの世界には少なかったです。コンテンツの数もそこまで多くなかったですし。

Q:その自分が置かれている状況を分かち合える人がまったくいない訳ですよね。

A:僕は個人でやるしかなかったですから、そんなに気楽に相談はできなかったですよね。本当に近しくなった人には相談に乗ってもらったりしましたけど、そういう意味ではジャンルカ富樫さんがいらっしゃったというのは、僕にとってすごく大きかったですね。あの方はアナウンサーではないですけど、ブレーンでもありましたし、喋ってもいましたし、僕にとっては勇気付けられましたよね。だから、何か相談事があると、まず富樫さんにぶつけてみて、「富樫さん、これでカルチョの魅力は伝わっているんでしょうか?」と聞いたら、「こうした方がいい」とかは言わない人なんですけど、「いいんじゃない」と言いながらも、「こっちの方がカルチョっぽいかもね」とか。そう考えると富樫さんは僕にとっての恩人ですね。

Q:凄く包容力があって、雰囲気のある方でしたからね。

A:フリーランスの立場をよくわかってくれる人だから、何かあっても「富樫さんがズッコケれば、自分もズッコケておけばいいのかな」みたいなね(笑) そう思うモノサシにはなりましたよね。

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