2006年トリノ五輪から早10年。フィギュアスケートはどのように隆盛してきたのか。過去10年の歴史=ディケイド(decade)を彩るトップスケーター達が逆境や後続からトップに立ち、“突き抜けた”瞬間を振り返る。

北米アイスダンスの第1の矢
タニス・ベルビン/ベンジャミン・アゴスト組(アメリカ)【シニア活躍時期:2001-2010】

アイスダンスは選手ごとの格付けを崩すことが難しく、大きな転倒などがなければ順位の動きにくい種目だった。そんなアイスダンス界を一変させたのが、現在の採点法式(ISU Judging System)=CoP(コードオブポインツ)――6.0点満点で決める減点方式から、エレメンツのレベルと出来栄え点、演技構成点の合計で決める加点方式への変更だった。そんなCoPの申し子がベルビン/アゴスト組だ。カナダ出身のベルビンは、トリノ五輪に市民権取得が間に合わず出られないはずだったが、ファンや関係者の嘆願により、特例で取得が認められた。トリノ五輪は前回大会銅メダリストのバーバラ・フーザル=ポリ/マウリツィオ・マルガリオ組(イタリア)が現役復帰するなど、90年代から活躍する選手が集う、かつてない超ベテラン大会となった。当時21歳と24歳の2人は、CD(コンパルソリーダンス)は6位発進ながら、転倒や棄権が続出する荒れた大会をミスなく乗り切り、ベテランカップルを食うジャイアントキリングを達成した。当時の世界チャンピオンであるタチアナ・ナフカ/ロマン・コストマロフ組(ロシア)には敗れたが、獲得した銀メダルは北米のカップルとしては史上最高順位だった。そしてこれ以降、アイスダンスの表彰台争いの中心は、ヨーロッパから北米へと徐々に移っていく。コーチのマリナ・ズエワとイゴール・シュピルバンドの時代の到来を告げる大会となった。

失意から勝ち取った栄光
アルベナ・デンコワ/マキシム・スタビスキー組(ブルガリア)【1997-2007】

長いブロンドヘアを振り乱し、足首をひねりそうなほどディープエッジで滑る2人は、トリノ五輪の有力なメダル候補だった。しかしながら、OD(オリジナルダンス)のダンススピンで足をつき、技術点を大きく失った。演技構成点の評価が横並びだったこの大会で、それは致命的なミスだったと言える。総合は5位で悲願のメダル獲得はならなかった。しかし1ヶ月後の世界選手権は、0.45点の僅差をかわして初優勝。これはブルガリアの選手としては、全カテゴリーを通じて初めての快挙であった。翌年の世界選手権でも優勝し、一線を退いた。引退後は振付師、プロスケーターとして活躍している。

ロマンティックダンスの第一人者
マリー=フランス・デュブレイユ/パトリス・ローゾン組(カナダ)【1997-2007】

彼らもまた、トリノ五輪のメダル候補の一角だったが、ODラストのローテーショナルリフトで転倒。FD(フリーダンス)を前に棄権するに至った。その年の世界選手権は、母国開催。五輪の失意を乗り越え、FDでは映画『ある日どこかで』の世界を、公私ともにパートナーの2人がロマンティックに演じ切った。デンコワ/スタビスキー組に0.45点及ばず銀メダルだったが、2人にとっては初めての世界選手権のメダルを手にした。翌2007年大会でも同組と接戦を演じ、2年連続で銀メダリストになった。引退後結婚し、夫婦でコーチに転進。現世界チャンピオンなど、モントリオールで世界中のカップルを指導し飛躍に導いている。

生き様を見せリンクを去った大ベテラン
イザベル・デロベル/オリビエ・ショーンフェルダー組(フランス)【1996-2010】

2005年世界選手権4位、トリノ五輪4位、2007年世界選手権4位。世界のトップにはあと少し届いていなかった2人。同世代のカップルは引退していき、2007-2008シーズンには最古参のカップルとなった。それまでも個性的なプログラムを作ってきた彼らだが、このシーズンのFDは手話を振付に取り入れる意欲作『ピアノ・レッスン』を作り上げる。そして2007年エリック・ボンパール杯で、念願のグランプリシリーズ初優勝を収めると、2008年世界選手権では、初のメダルを最高の色にしてみせた。2人はバンクーバー五輪の優勝候補の1組となったが、怪我で終えた翌シーズンのオフに、デロベルの妊娠が判明する。彼女の産休中、ショーンフェルダーは引退したチームメイト、デュブレイユ/ローゾン組と練習し、時にデュブレイユがリフトの練習相手となった。そしてデロベルは2009年10月に出産。国内選手権にも出場せず、4ヶ月後の五輪をぶっつけ本番で迎えた。FDでは、台詞が涙を誘う『見果てぬ夢』を滑り、キスアンドクライでデロベルは靴を脱いで掲げた。笑顔で歓声に答え、6位で現役最後の大会を終えた。

スケート大国復活の火付け役
オクサナ・ドムニナ/マキシム・シャバリン組(ロシア)【2003-2010】

ゴージャスな雰囲気が持ち味の2人は、今でも語り継がれる名作FD『仮面舞踏会』で、2007年グランプリファイナル、2008年欧州選手権を制覇。シーズン3冠が濃厚だったが、シャバリンの左膝の怪我で世界選手権は欠場した。2008年6月に、コンパルソリーダンス指導の大家ナタリア・リニチュク/ゲンナジー・カルポノソフ夫妻にコーチを依頼。2ヶ月前に同チームへ移籍したベルビン/アゴスト組と切磋琢磨し、技術を高めた。2組の頂上決戦は2009年世界選手権。このシーズン物にしたCDでは首位に立つも、ODはベルビン/アゴスト組が上回り点差を詰めてきた。勝負は最終種目のFDに持ち込まれ、先に滑ったベルビン/アゴスト組が100.27点の高得点を出した。2人はダイナミックなリフトと、磨き上げたスケーティングを武器に、総合得点で1.22点の僅差を制した。世界選手権でいずれのカテゴリーでも金メダルから遠ざかっていたロシアに、4年ぶりの金メダルをもたらした。

不世出のスケーティングで手にした輝き
テッサ・ヴァーチュー/スコット・モイア組(カナダ)【2006-現在】

トリノ五輪後の4年、世界選手権の表彰台で明らかにアメリカやカナダの国旗を見ることが増えたが、しかしチャンピオンはヨーロッパの選手が守り続けていた。最後の壁を破ったのは、とても若いカナダのカップルだった。アイスダンスを始めた当初からカップルを組んでいた2人は、2003年にズエワとシュピルバンドの元へ移って練習に励み、シニアに上がってからは大活躍を見せる。2008年世界選手権では、18歳と20歳という破格の若さで銀メダルを獲得する。モイアのスケーティング技術はきわめて高く、アイスダンスの年功序列をことごとく破壊していった。そして迎えた母国開催の2010年バンクーバー五輪でも、大声援に気負うことなく、その技術の高さで他を凌駕。五輪のアイスダンス史上最年少の優勝であるとともに、北米初の金メダリストとなった。ここからアイスダンス界の主流は、完全に北米へ向かっていく。連覇を逃し2位に終わったソチ五輪以降、引退の明言をしていなかったが、2016年2月に競技への復帰を発表。王者の帰還が、これからのアイスダンス戦線をかき乱していくかもしれない。

お知らせ

◆決定!!ISUフィギュアスケート選手権アーカイブ
2004〜2015年に開催されたISUフィギュアスケート選手権の中から、リクエスト数上位6大会を順次放送します。
選手達の名勝負を振り返りますので、ぜひお見逃しなく!

5月14日 (土) 午前11:00〜 J SPORTS4 【2012年 世界選手権 男子シングル】
5月28日 (土) 午前11:00〜 J SPORTS4 【2010年 世界選手権 男子シングル】
6月4日 (土) 午前11:00〜 J SPORTS4 【2007年 世界選手権 男子シングル】
6月18日 (土) 午前11:00〜 J SPORTS4 【2014年 世界選手権 男子シングル】
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