2006年トリノ五輪から早10年。フィギュアスケートはどのように隆盛してきたのか。過去10年の歴史=ディケイド(decade)を彩るトップスケーター達が逆境や後続からトップに立ち、“突き抜けた”瞬間を振り返る。

欧州史上最強女子
イリーナ・スルツカヤ(ロシア)【シニア活躍時期:1995-2006】

フィギュアスケート女子シングルの歴史を語る上で忘れてならない選手のうちのひとり、イリーナ・スルツカヤ。欧州選手権最多優勝、ISUグランプリシリーズ最多優勝記録を保持する。彼女はとても強かっただけではなく、現役中に結婚、病気による離脱、出産を経験したという極めて稀なスケーターだ。1995年世界ジュニアで優勝すると、翌シーズンからシニアに移行、3ルッツ+3ループという高難度コンビネーションジャンプを武器に、出場したほとんどの大会で表彰台に上ってきた。そんな中20歳の若さで知人男性と結婚。また2003年には自己免疫疾患を患い、約1年競技から離れた。再び試合に出ること自体難しいと思われていたにも関わらず、2004-2005シーズンに本格復帰すると、以前にも増した強さでグランプリシリーズ、グランプリファイナル、ロシア選手権、欧州選手権、世界選手権、全ての試合で優勝を果たした。さらに2007年には第一子を出産。それでもまだ競技への再復帰を考えていると話したが、実際に復帰することはなく今に至る。ミッシェル・クワン(アメリカ)同様、無敵の強さを誇りながらも3度の五輪ではついに金メダルを手にすることはできなかったスルツカヤ。残してきた偉大な経歴が、金メダルなど必要ないと言っているようだ。

粘り強さが支えた氷上のアクトレス
村主章枝(日本)【1996-2014】

長年、日本女子シングルを牽引してきた村主章枝。特にここ一番での精神力の強さが印象深い。その最たるがトリノ五輪代表選考を兼ねた2005年全日本選手権だろう。この大会は今でも伝説として語り継がれる大熱戦であった。代表争いは村主、荒川静香を始め、安藤美姫、恩田美栄、中野友加里で争われ、また代表権は無いものの向かうところ敵なしだった浅田真央にも注目が集まった年だ。このシーズン、村主は怪我の影響から、序盤の大会でジャンプがほとんど跳べず、五輪出場は難しいと思われていた。若手の台頭もあり、全日本選手権でよほど良い演技をしなければ、96年から死守し続けてきた表彰台にも上れるかわからない状況であった。そんな中、SPもFSもほぼ完璧な演技をし、終わってみれば表彰台の一番高いところに立っていた。

クール&クレバービューティ
荒川静香(日本)【1997-2006】

2003-2004シーズンに念願の世界女王となった荒川だが、そこからトリノ五輪まで紆余曲折あった。
翌シーズンは全日本選手権を怪我で途中棄権、世界選手権は9位、五輪シーズンに入ってからもグランプリファイナル進出を逃し、全日本選手権は3位でなんとか五輪のチケットを獲得したのだった。金メダル候補はスルツカヤとアメリカのサーシャ・コーエン。しかしこの2人は期待が大きかった分、プレッシャーも大きく、台風の目として冷静に高得点を取るための策を練ってきた荒川はとても落ち着いていた。会場に入ってからの練習を見た記者の中に荒川の調子の良さに触れる人がポツポツと現れた。SP(ショートプログラム)を終えて3位につけた荒川は、スタートポジションで一度鼻をすすった様子がテレビに映っていたのを見て「フリーでは絶対鼻をすすらないぞ」と思ったという。そのエピソードからも伺えるように、勝つことよりも良いものを見せたいと思って滑ったことで、あの素晴らしいFS(フリースケーティング)『トゥーランドット』が大一番で出せたのだろう。

ガラスのハートから生まれた数々の名演技
サーシャ・コーエン(アメリカ)【2000-2010】

高い柔軟性に加えてピシッと伸びたフリーレッグ、180度開脚のシャーロットスパイラルで人々を魅了した、バレリーナのようなスケーターだったサーシャ・コーエン。とても印象的で偉大な選手ではあったが、実は国際舞台で活躍したのはちょうど2002年ソルトレイクシティ五輪シーズンからトリノ五輪シーズンの5年間という、五輪のチャンスに恵まれた選手だった。コーエンがその名を轟かせたのは、2000年全米選手権でジュニア選手ながらSP1位FS2位で銀メダルを獲得するという快挙を成し遂げた時だ。翌シーズンからシニアに移行するが目立った活躍は無く、2001-2002の五輪シーズンに入ってから徐々に主要大会での順位を上げ、ソルトレイクシティ五輪ではSP3位FS4位総合4位でメダルまであと一歩に迫った。その時のコーエンの演技を見て、彼女がメダルを取ると思ったという人も多かったほど鮮烈な印象を残した。そこからの4年間は常に表彰台に上るトップ選手として活躍し、トリノ五輪シーズンの2006年全米選手権ではついに全米女王として五輪の切符を手にした。金メダル候補として挑んだトリノ五輪では完璧なSPを滑り首位に立つが、FSでは冒頭のジャンプから転倒、荒川静香に次ぐ銀メダルに終わった。この成績はとても象徴的なもので、サーシャ・コーエンは「シルバーコレクター」「ショート番長」などと言われることがあったほど、SPに強く、FSで優勝を逃すことが多々あった。トリノ五輪後は一旦競技から退くが、バンクーバー五輪シーズンに復帰を明言、怪我の影響もあり実際には全米選手権のみに出場した。結果は4位で3度目の五輪出場は叶わなかった。

母に捧げた渾身のタンゴ
ジョアニー・ロシェット(カナダ)【2003-2010】

2016年メダルウィナーズオープンにて、ロシェットは2連覇を果たした。その演技は今すぐにでも現役復帰できそうな完成度の高さだった。もともと安定したジャンプが持ち味の選手だった。バンクーバー五輪を共に戦ったキム・ヨナや浅田真央のように高難度ジャンプは持っていなかったが、「私には5種類の3回転ジャンプがある」とその正確さには自信を持っていた。母国開催の五輪に向けて着実にキャリアを積み上げて照準を合わせてきた。前年にはついに世界選手権で表彰台に乗った。強いという印象はあまりなかったが、とにかく着実に確実に五輪のメダルへと歩み寄ってきた数シーズンだった。しかし、五輪の本番を目前に思いもよらぬことが起こる。SPの2日前、母親が心臓発作で急死。誰もが棄権するものと思ったが、予定通り姿を見せたロシェットは、落ち着いた様子で完璧なSP『ラ・クンパルシータ』を滑ってみせた。最後のポーズをとった後、「ママ!」と言って初めて涙を見せた。翌日のFSでも上位2人に食らいつく演技をし銅メダルを獲得。「最後のジャンプはママが持ち上げてくれた」と語った。

早咲きであり遅咲きでもあったフィギュアスケートの申し子
カロリーナ・コストナー(イタリア)【2003-現在】

「全員がミスなく滑ったらコストナーが優勝するだろう」とこれまで他の選手のコーチたちが口にしたことは数知れない。カロリーナ・コストナーはそんな類い稀な才能の持ち主だ。ジュニア時代、あまりのスピードの速さに「イタリアのスポーツカー」と言われたこともあったとか。才能、技術、表現力を兼ね備えていたコストナーに唯一足りなかったのは強い精神力だった。出来るはずのことが本番で発揮出来ない。そんな試合が続き、母国開催のトリノ五輪で9位、バンクーバー五輪で16位に沈むと国内で多くのバッシングを受けた。それでも競技を続けてきたのは、本当は自分は出来るのだと、自分のスケートを信じていたからではないだろうか。アメリカに拠点を移したり、メンタルトレーナーをつけたり、試行錯誤を続けながら2012年、ついに世界選手権で優勝を果たした。そして27歳で迎えた3度目の五輪、ソチで銅メダルを獲得。その演技は間違いなく歴史に残る、“これこそがフィギュアスケートなんだ”という素晴らしいものだった。

我が道を行く天才ジャンパー
安藤美姫(日本)【2004-2013】

トリノ五輪後のシーズンは何と言ってもシニアデビューした浅田真央とキム・ヨナ(韓国)の話題で持ちきりで、五輪15位に終わった安藤はもはや世間から見放された存在になっていた。しかし五輪後、以前のコーチと共にジャンプの再構築に取りかかると、あっという間に本来のキレを取り戻し、3ルッツ+3ループという女子最高難度コンビネーションをバンバン決め始めた。新しくコーチについたニコライ・モロゾフの影響もあり、特にメンタル面でこれまでにない安定感を見せ始めた。体型の変化も落ち着き、浅田真央の存在もあってかマスコミからの執着も影を潜めるなど、ありとあらゆる好条件が揃った時、本来の天才的な才能が大いに発揮された。そして迎えた2007年東京開催の世界選手権、SP2位で迎えたFS、最終滑走でほぼ完璧な演技をし、逆転優勝を果たした。最終順位が発表された瞬間キス&クライで感嘆の声を上げる様子は、記憶に新しい。

七転びすらも美しく胸に響く
浅田真央(日本)【2005-現在】

浅田真央は世界で最も多くの栄光を掴んできた選手のひとりであると同時に、最も多くの失意を味わってきた選手だ。2005年グランプリファイナルで15歳にして世界の頂点に立ってから、山あり谷あり、その折れ線グラフは上ったり下がったり本当に色々なことが起きる。特にバンクーバー五輪後のシーズンは新しいコーチ探しから始まり、ジャンプやスケーティングの見直しという、世界女王になり五輪で3アクセルを3回決め銀メダリストにまでなった選手としては異例のチャレンジに挑んだ。その挑戦は想像をはるかに超える困難なものであり、試合に出ては転倒を繰り返し肩を落とした。翌シーズンには東北で大震災が起こり、浅田自身被災したわけではないが、多くの人が生活もままならない状況に胸を痛めた。そんな中、ずっと浅田のスケート人生を導いてきた母親が他界。3年振りの出場となったグランプリファイナルを直前に棄権した。転んでは起き、再び輝くために自身のスケートを磨き続けてきた数シーズン。ようやくジャンプにも安定感が戻ってきた頃、気づけば本来の高い表現力は深みを増し、素晴らしいベテランスケーターとなっていた。ソチ五輪の直前には数年振りに3フリップ+3ループのコンビネーションジャンプも取り戻し、十分に金メダルを狙える構成のプログラムを滑るまでになった。そして五輪本番ではSPで16位と過去最低順位に沈むも、今や伝説となったFS『ピアノ協奏曲第2番(ラフマニノフ)』をミスなく滑り、改めて世界にその存在を知らしめた。1年の休養を挟んで復帰した2015-2016シーズンも、3アクセルが決まったり決まらなかったり、上手くいったりいかなかったり、やっぱり辞めようと思ったり続けようと思ったり。浅田真央の折れ線グラフはまだまだ上ったり下がったり、見るものを飽きさせない。

お知らせ

◆決定!!ISUフィギュアスケート選手権アーカイブ
2004〜2015年に開催されたISUフィギュアスケート選手権の中から、リクエスト数上位6大会を順次放送します。
選手達の名勝負を振り返りますので、ぜひお見逃しなく!

5月14日 (土) 午前11:00〜 J SPORTS4 【2012年 世界選手権 男子シングル】
5月28日 (土) 午前11:00〜 J SPORTS4 【2010年 世界選手権 男子シングル】
6月4日 (土) 午前11:00〜 J SPORTS4 【2007年 世界選手権 男子シングル】
6月18日 (土) 午前11:00〜 J SPORTS4 【2014年 世界選手権 男子シングル】
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