現代サッカーに大きな影響を与えた、ヨハン・クライフ氏

現代サッカーに大きな影響を与えた、ヨハン・クライフ氏

ヨハン・クライフが亡くなった。肺癌だったという。

かつてはヘビースモーカーとして知られ、20年くらい前には禁煙キャンペーンのモデルとなっていて、スペインではどこに行ってもクライフのポスターを目にしたものだった。そして、バルセロナのベンチに座っている頃には、タバコの代わりにキャンディーをくわえているクライフの姿があった。日本対アフガニスタンの試合が終った直後に「巨星墜つ」の報せを聞いて、まず思い出したのが、その禁煙キャンペーンのポスターだった。若いファンの方は、クライフと言えば現代のバルセロナのサッカーを作った人物なのだろうが、僕にとってのクライフはもちろん1974年のクライフである。

何しろ、僕にとっては初めて現地観戦した(そして、ワールドカップ観戦は「一生に一度」のつもりの)ワールドカップだった。僕は、ヨーロッパ・チャンピオンであり、開催国の西ドイツ中心に観戦するつもりでスケジュールを組み、チケットを用意していた。しかし、1次リーグの西ドイツはチリとオーストラリアに連勝して2次リーグ進出を早々に決めはしたものの、東ドイツに敗れてしまうなどとても好調とは言い難かった。そんな中で、噂として流れてきたのが「オランダがすごい」という話だった。

当時は、もちろんインターネットもないし、試合は同時刻に何試合もやっている時代であり、旅行中に簡単に映像をチェックすることなどできなかったので、あくまでもオランダの試合を(スタジアムで、あるいはテレビで)見た人から聞いた噂話だったのだ。「オランダとはどんなサッカーをやっているのだろう……」。そう思いながら、観戦を続けていた。

クライフのいたアヤックスは、ワールドカップ直前のチャンピオンズカップ決勝で3連覇を決めていた。まだ、ボスマン判決の20年も前の話であり、オランダ代表というのはアヤックスがベースとなるチームだ(一方、最終的に決勝戦でオランダを破って優勝する西ドイツはフランツ・ベッケンバウアーをはじめとするバイエルン・ミュンヘン主体のチームだった。バイエルンは、その次のシーズンからチャンピオンズカップ3連覇を遂げる)。今から考えれば、当然、オランダが優勝候補であっても不思議ではない。

だが、ネームバリューのせいなのか、オランダはあくまでもダークホースの一つであり、情報もあまり入っていなかった。これは、「日本の雑誌が」という話ではない。当時、僕は海外サッカーの情報源としてイングランドで発行されている『ワールド・サッカー』誌を定期購読していたが、その『ワールド・サッカー』でも、やはりオランダはダークホース扱いだった。情報が限られているだけに、想像はますます膨らんでいった。何しろ、今とは違って、現地で手に入る情報源はドイツ語の新聞かテレビでの断片的な映像だけだった。

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