ついに見納めの時がやってきた。ドラゴンズが誇るレジェンド・山本昌の引退試合が3月5日、本拠地・ナゴヤドームで開催。日本プロ野球初の50歳登板を果たした大投手が、いよいよマウンドに別れを告げる。

改めて、山本昌の足跡を振り返ってみよう。

神奈川県茅ケ崎市で生まれ育ち、地元の強豪校・日大藤沢高に進学。1984年ドラフト5位でドラゴンズへ入団すると、背番号「34」を与えられた。

これは球団のおひざ元・名古屋出身のサウスポーである金田正一氏に倣ってのもの。山本昌は大型左腕ゆえの運命を背負ったのだ。

ただ、体格は立派でもボールの勢いはなく、4年目までは鳴かず飛ばず。5年目の1988年には、春季キャンプで訪れたアメリカ・ベロビーチへ残留、ロサンゼルス・ドジャース1Aへの野球留学を命じられる。

残念ながら、野球留学に対するこの時代の価値観は「整理選手の筆頭候補」「島流し」が主で、山本昌にも野球人生のピンチが訪れたのだ。

結果として、この野球留学で出会ったアイク生原氏の教えや、のちの代名詞・スクリューボールの取得が背番号34を劇的に進化させる。

帰国後は2ヶ月で5勝を挙げる活躍で、チームのリーグ優勝に貢献。翌年からは先発ローテーションの中心を担い、ドラゴンズの顔へと成長していく。

1990年代は3度の最多勝に輝き、94年には沢村賞を獲得。右打者の懐を攻めるクロスファイヤーに、前述のスクリュー、カーブなどを織り交ぜ、並み居る強打者をねじ伏せた。

40歳を過ぎてからも第一線で活躍を続け、2006年にはノーヒットノーランを達成。41歳1ヶ月での達成は今でも最年長記録だ。そして2年後の2008年には通算200勝に到達。

まもなく43歳を迎えるという時期にも関わらず、完投勝利で飾ったところに山本昌の凄みを感じさせる。

お知らせ

プロ野球3月25日開幕!
J SPORTSでは広島・中日・オリックス・楽天の主催試合を合計260試合以上放送。
さらにオープン戦も4球団で合計20試合以上放送します。
広島特集ページはこちら≫    中日特集ページはこちら≫
オリックス特集ページはこちら≫ 楽天特集ページはこちら≫

スカパー!×J SPORTS J SPORTS オンラインショップ