武藤嘉紀が先発に戻ってきたマインツが、ボルシア・メンヘングラードバッハを1対0で破って後半戦初勝利。相手のメンヘングラードバッハは、前節まで4位に付けていたチームだったが、このところやや攻撃陣が停滞気味のようである。いずれにしても、マインツはこの勝利によって上位に肉薄することになった。

で、今回の話題はメンヘングラードバッハについての思い出話である。

僕たちのようなオールド世代にとっては、実はボルシア・メンヘングラードバッハというクラブはとても懐かしい存在であり、長い低迷期の後、このところすっかり復活上位に定着しているのは嬉しい限りなのだ。僕が、初めてサッカーというスポーツに夢中になったのは1960年代の後半だった。当時は、まだ海外サッカーの情報などはほとんど入ってこない時代だった。伝説の番組「三菱ダイヤモンド・サッカー」ではイングランドのフットボール・リーグ(FL=プレミアリーグの前身)の試合を観ることができたが、その他の国のサッカーは雑誌に掲載される小さな写真を見て想像するしかなかった。

それが、1970年代に入るころには「ダイヤモンド・サッカー」でも西ドイツの試合も放映されるようになり、また、1974年のワールドカップが西ドイツで開催されるということもあって(僕が初めて現地観戦したワールドカップだ)、西ドイツの情報に頻繁に接することができるようになっていった。西ドイツで初めての全国リーグである「ブンデスリーガ」が発足したのが1963年。まだ、ブンデスリーガ自体も若い存在だった。

そして、そのブンデスリーガで覇権を争っていたのが、フランツ・ベッケンバウアーなど西ドイツ代表多数を擁するバイエルン・ミュンヘンと、ドイツ北西部の小さな都市メンヘングラードバッハを本拠地とするボルシア・メンヘングラードバッハだった(メンヘングラードバッハはそれが都市名なのだ。省略して「グラードバッハ」などと言う人がいるが、これはおかしい。きちんと「メンヘングラードバッハ」と言ってほしいものである)。

ボルシアを率いる中盤のコンダクターはギュンター・ネッツァーであり、バイエルンを率いるベッケンバウアーとネッツァーはともに西ドイツ代表で、個人的にもライバル同士だった。メンヘングラードバッハを率いるのは、名将ヘネス・バイスバイラーである。実は、メンヘングラードバッハは1969年に来日もしている。

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