11月に起こったパリでの同時テロ事件。フランス対ドイツの試合が行われていたスタッド・ド・フランスで最初の爆発事件が起こったこと。その後、国際試合が中止になったり、各国のリーグ戦の試合前にフランス国歌「ラ・マルセイエーズ」が歌われたりと、ヨーロッパのサッカー界にとってもショッキングな出来事だった。

テロ事件の直後には、捜索に入ったフランスの警官隊とテロ・グループが銃撃戦を繰り広げたと報じられたが、その舞台もスタッド・ド・フランスのあるサンドニだった。

サンドニには歴代フランス王の墓所ともなっている由緒ある大聖堂もあるが、20世紀には工場地帯となり、現在ではすっかり廃れてしまい、黒人人口が多い街となっている。

また、テロ事件の容疑者はベルギーの首都ブリュッセルを拠点としていたと言われ、ブリュッセル市内は厳戒態勢に置かれた。日本の新聞にもブリュッセルの「モランベーク地区がイスラム教徒(ムスリム)の人口が多い街だ」といったことが紹介されている。

一昨年の秋、日本代表チームがベルギーに遠征したが(オランダと引き分け、ベルギーに逆転勝ちして翌年のワールドカップへ向けての期待が高まった)、その時に僕が泊まったブリュッセル北駅付近もアラブ系の人たちがとても多く暮らしていた。もちろん、平和的に。

僕が初めてブリュッセルに行ったのは1974年のワールドカップが終わった後だった。

「ヨーロッパに来るなんて一生に何度もないこと」と思って、各国を旅して回っていたのだ。ブリュッセルでは、旅の途中で知り合ったベルギー人の家に泊めてもらったのだが、観光地として彼が真っ先に薦めてきたのがアフリカ博物館だった。ベルギーが植民地にしていたコンゴ(民主共和国=旧ザイール)の文物を集めた博物館だ。僕は「なんで植民地からかっぱらってきたものを集めた博物館を薦めるんだ?」と不思議に思った記憶がある。

現在のヨーロッパでは、どこの国にもアフリカ系の黒人や中東出身のアラブ人、トルコ人がどこの国にも数多く暮らしている。そして、サッカー界でもそういうマイノリティーの選手が数多く活躍している。

今から半世紀前、僕がサッカーというスポーツに出会って、ヨーロッパの試合に興味を持ち始めた頃には考えられないことだった。

初めてワールドカップという大会を意識したのが1966年のイングランド大会。テレビで多くの試合を見たのが1970年のメキシコ大会(ただし、録画)。そして、初めて現地に観戦に行ったのが1974年の西ドイツ大会。当時のワールドカップではヨーロッパのチームには黒人選手もトルコ系選手もプレーしていなかった。

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