先日、1961年の『キッカー』誌を手にする機会があった。「日本サッカーの父」として知られ、先日90歳で亡くなったデットマール・クラマー氏を偲ぶ趣旨の集まりで回覧されたものだった(『キッカー』は、ご承知のようにドイツを代表するスポーツ雑誌だ)。

当時、クラマー氏は東京オリンピックを目指す日本代表チームの特別コーチとして来日しており、そのクラマー氏が『キッカー』に日本のサッカーやスポーツ全体に関する記事を書いていたのである。

で、パラパラとザラ紙に印刷された『キッカー』誌の頁をめくっていると、当時のドイツ(厳密に言えば「西ドイツ」)のサッカーリーグの勝敗表が目に入った。シャルケやヘルタ・ベルリンといった強豪チームの名前が見える。バイエルン・ミュンヘンは、まだ1860に次ぐ、ミュンヘンで2番目のクラブだった時代のことだ。そして、何よりも目を引くのが、この順位表は「ブンデスリーガ」ではなく各地域リーグの表であることだった。

西ドイツのブンデスリーガが発足したのは、東京オリンピックの前年1963年(1963/64シーズン)のことなのだ。

クラマー氏の功績としてよく言及されるのが、東京オリンピック直後に行ったスピーチでの「5つの提言」である。代表のヨーロッパ遠征とか、指導者養成などの項目の一つに、ホーム&アウェーによるリーグ戦の結成というのがある。

それまでの日本の全国大会としてはノックアウト式トーナメントの大会がいくつかあり、しかも集中開催で行われていた。それでは、1回戦で敗れてしまったチームは1試合しか経験できない。しかも、試合は連戦で行われるので強豪同士の顔合わせとなる準決勝や決勝は疲労がたまり、負傷者が何人もいるような状態での戦いとなる。……それでは、強化につながらない。だから、週に1試合のペースで行うホーム&アウェーのリーグが必要だ。クラマー氏はそう提言を行い、それを承けて当時の若手役員が奔走してオリンピックの翌1965年に日本サッカーリーグ(JSL)が発足した。ちょうど50年前のことだった。

しかし、西ドイツでも全国リーグの発足は、クラマー氏が提言を行った前年のことでしかなかったから、JSLはブンデスリーガの弟分のようなものだった(もちろん、西ドイツでは地域リーグは第2次世界大戦前からの長い歴史を誇っていたのだが)。

それまで、西ドイツでは全国リーグがなく、選手もアマチュアかセミプロでしかなかった。

お知らせ

J SPORTSオンデマンドサッカーパックは
サッカーコンテンツ盛りだくさんで月額1800円!
・プレミアリーグ全試合
・ブンデスリーガ毎節4試合
・デイリーサッカーニュースFoot!
【会員無料動画】Un Poco Foot! 月曜日〜水曜日
サッカーパック :月額1,800円 (税抜)
※25歳以下の方は、U25割で月額900円 (税抜)でご利用いただけます!
詳しくはこちら »

スカパー!×J SPORTS J SPORTS オンラインショップ