多くの選手がユニフォームを脱いだ。引退会見、引退試合、普段顔を合わせていても、その場に立ち会えば、あらためてその偉大さを肌で感じる。

9月20日、朝倉健太は現役最後のマウンドへ上がった。「僕は取材しにくい一人だったと思う。頑張りますくらいしか言わなかったですから」。多くを語らないようにしていたと本人は言う。冗談は言うが野球の話となれば言葉数は急激に減る。一見ドライに映る。しかし実は真逆、熱い野球の血が流れる男だった。

同級生の藤井淳志は以前こう話した「健太は、ああ見えますが、野球になれば人が変わるくらい真剣です。普段は冗談ばかり言ってますがね。練習一つとってもナメてる後輩とかは許しませんでした。それと、あいつが投手陣の良いまとめ役になっていたのも事実、若い投手はなかなか年齢の離れた投手と話せない。上と下のつなぎ役も健太がやっていたんです」。ベテランから可愛がられ、後輩からは慕われた兄貴だった。

2軍は遠征中。遠征に帯同していない選手やコーチ達が試合中、続々とナゴヤドームに集まった。ブルペンからベンチ裏の通路に向かうと、両サイドに選手達は整列し朝倉を拍手で送り出した。朝倉の目には涙が溢れた。

「僕は本当は泣き虫、みんな泣かせようとするから」。仲間たちは朝倉の熱い血に触れていた。そして朝倉以上に、通路で引退の1球を見つめた後輩たちの目にも熱い物がこみ上げていた。現役14年、その後半は故障や血行障害に悩まされ苦労した。太く短い65勝、その数字以上に、気持ちを込めた朝倉の投球は後輩たちに受け継がれる。

偉大なバットマンは打撃の奥深さを感じ、それに翻弄され、悩み、それでもバットを振り続けた。小笠原道大は決して“こうするべきだ”と後輩に伝えなかったという。春に福田永将の打撃について聞いたことがある。

「福田が今、感じている感覚を言葉で伝えられても、僕はそれを完璧に理解することはできないでしょ。僕の感覚を彼に伝えても完璧には理解できない。逆に僕の感覚を伝えたら、おかしくなっちゃう事もある。だから今、感じていることを大切にしてほしい」。

自分の打撃を語る事はまずなかった。練習から独特、バランスボールに片膝だけ乗せ、体感を意識しながらバットを振る。挙げたら切りがない“小笠原メニュー“は自分で作りだしたもの。

感覚はバットマンにとって命、その命を磨く”工夫“は多くの後輩の引き出しになった。「一瞬一瞬を懸命に、心の中は泥臭く、前を向いてやって欲しい」言葉以上に小笠原道大の背中は多くを語っていた。

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